ユートピアコロニー、宇宙港。
上空に待機していたナデシコがゆっくりと方向を変え、上昇をはじめている。相転移エンジンの出力が足りないためその動作は遅いが、それでも懸命に火星の引力を振り切ろうとしていた。
「あれがナデシコ。面白い形ですねえ。」
「…本当にやるんですか主任?あの艦は今や」
「だからこそ、なんだよね。わかってるの君?彼らをなんとかしないと僕らは実験ができなくなるだけじゃない。明日にも消されちゃうんだよね〜これが」
「なぜです!?我々は」
「平和ってのはそういうものなの。」
青年はめんどくさそうに、初老の部下に顔を向けた。
「所詮、バカな連中にはわからないんだよ。世界的に偉大な発見をしたひとっていうのは、大抵自分自身や家族まで実験台にしたってこと。科学の進歩だってその原動力は戦争、つまり殺しあいさ。
なのに彼らは僕らを人の皮をかぶった鬼畜なんて呼ぶ。勝手な話だよねえ。成果物はちゃっかり盗んでいくくせに、それを苦労して生み出した僕らを犯罪者みたいに言ったり、へたすると本当に処刑しちゃうんだ。僕らが何をした?いいじゃない人類全てのためだもの。千人や二千人消費したってその後一億人助かるんだよ?何の問題があるっていうんだろうねまったく。バカの考えることは理解不能だよ。」
はぁ、とため息をつき、ヤマサキは手元のスーツケースを開く。
「できれば、マシンチャイルドとかいうお人形と北辰さんご執心の女の子くらいは生け捕りにしたかったんだけどねえ。僕の頭脳とお人形の能力があわされば凄い子ができそうだし、女の子おみやげにすれば北辰さんも喜んでくれたろうに。…ま、仕方ないか。」
スーツケースの中は機械だった。通信装置のようなものを広げ、電源をいれる。
「虫型戦闘機の制御はできないんだっけ…ま、いっか。とりあえず火星中の無人戦艦を集めなくちゃ」
パチパチ、と何かを切替える。
よくみればスーツケースは血まみれである。味方の軍人を殺して手に入れたものだがヤマサキは全く気にしていない。自分の目的を妨げるような愚者には興味がないからだ。
「さ、これでいい。いくらあの艦が強力でも、六十基の跳躍門と八千の無人戦艦には勝てないだろうしね。さて、ほとぼりが醒めるまでどこかに身を…あれ?」
「…」
ヤマサキが振り向いたところ、そこには初老の男の死体が落ちていた。まだ喉笛から鮮血が噴き出している。
「もう来たんだ。仕事熱心だねえ北辰さんも」
ふう、と、ヤマサキはため息をついた。
「でももう遅いよ。あの艦は沈む。誰も止められない。僕にもね」
「そうでもないぞヤマサキ」
それが、ヤマサキヨシオの聞いた最期の言葉だった。
噴水のように吹きあがる血を見ながら、北辰はつぶやく。
「火星の無人兵器はもはや、木連の制御下にはない。
世界は動きだしたのだ。ひと組の男女を鍵としてな…もう止められん」
「…」
だがもう、ヤマサキはそれに反応しない。痙攣が起きているだけだ。
「そなたは腐れ縁ではあった。しかし我を妙に慕ってくれてもおったな。利用価値、という意味かもしれんが…我はそなたを嫌いではなかったぞ、ヤマサキ。時として不快ではあったが」
そう言うと北辰は、動きを止めたヤマサキの目を閉じてやった。
「せめて今は眠れ。歴史に意志があるならば、きっとそなたにはもっとよい来世が待つであろう。非合法の研究なぞせずともよい、な」
ヤマサキもイネス・フレサンジュもその根っこは同じ。ただ生まれと育ちが違ったためにこういう結果になった。少なくとも北辰はそう思っていた。
「…」
だからこそ北辰は、はじめて祈った。不幸にして歴史に潰された友のために。
「…ゆけ、ナデシコよ。未来の我、そしてその想い人を乗せ。そなたらは今や歴史の鍵となったのだ」
「♪キノコノコノコ、タヌキノコ〜♪」
「?ラピス。その歌なあに?」
「知らない。昔、イネスが教えてくれたの。」
「へえ。そうなんだ。でも可愛くないわよその歌」
「いい。好きだから」
幼稚園児くらいの愛らしい幼女が、楽しそうにコンソールを操っている。操るたびに手のナノマシンパターンが輝く。全力を出しているわけではないから全身が光ったりはしないようだ。
その横で、エリナ・キンジョウ・ウォンはため息をつく。
「オモイカネもいい具合に仕上ってきたわね。そろそろコスモスに組み込めるかしら?」
「…二番艦用はもうできてるよ。これはシャクヤクとカキツバタ用」
「!あ、そうなの?」
「ウン」
「すっごいわね。ラピス、えらいえらい」
「えへへ」
子供扱いされるのをよしとしないラピスだが、エリナは別のようだった。
前の歴史でもラピスとエリナは仲良しだったが、今回もそうだった。どうもエリナ、意外に子煩悩なとこがあるらしい。考えてみればかつての彼女がテンカワアキトに惹かれたのも同様なのかもしれない。下世話に言えば年下趣味。手のかかる弟や妹のような存在が彼女は好きなのだ。
まぁ違ったとしても、幼女にエリナエリナと懐かれ、それに耐え切れる彼女でなかった事だけは事実だ。
「…ねえラピス」
「なに?」
「前の歴史で一緒だったっていう男の子の事だけど」
「?アキトならナデシコにいるよ?…もう男の子じゃないけど」
ちょっと寂しそうにつぶやくラピス。
そんなラピスを、エリナは優しい目で見る。
「そ。やっぱり逢いたい?」
「ナデシコが帰ったら逢う。…止めないでねエリナ」
「いいけど…不思議ねえ。」
「?」
「いえね、ラピス。
貴女のくれたデータのおかげでボソン・ジャンプの解明はできた。単独ジャンプがほとんどできなくなっているのは正直痛いけど、チューリップの解明とこちら側で利用できる可能性がわかっただけでも大収穫よ。あなたにはほんと、感謝してるんだからね」
「ふうん」
ラピスはそれにあまり興味がない。彼女はお金や名誉に関心がないからだ。
「でも、どうして時間移動の結果、若返ったり異性になったりしたのかしら?そこのところがちょっと謎なのよね。あなたどう思う?」
「…」
ラピスは作業の手を休めると、エリナに向き直った。
「…あのね、エリナ」
「?なに?」
「それ、ユリカの意志だと思う。」
「ユリカって、ミスマルユリカ…じゃないわね。極冠遺跡に組み込まれて救助されたっていう、あなたの世界の彼女ね?」
「うん、そう。エリナ、頭いい」
「あら、ありがと♪」
うふふ、とふたりは笑いあった。
「でも、どうして彼女が?救助されたんなら遺跡とのリンクは切れてるんでしょ?」
「…」
だがラピスは、それに首をふって否定した。
「リンク、切れてない。私にはわかる」
「…それ、どういう意味?」
「私、ユーチャリスでオモイカネ・ダッシュとよくリンク演算してた。だからわかるの。」
「…」
「個別のジャンプができないのは、ユリカが許さないから。許せばジャンパーがまた狙われる。だからユリカはそれをさせない。使えないんなら火星の後継者の乱は起こせない。起こす理由もない」
「…それって本当なの?」
「本当。
このあいだ、実際にオモイカネに頼んでリンク演算してみた。ちゃんと遺跡とのリンクも生成して」
「!?できるのそんな事!?」
「オモイカネならみんなできるよ。すごい演算力がいるしまだ実際には飛べないけど。フィールドが生成できないとみんな死んじゃうし」
あっけらかんとラピスは答える。ぽかーんと固まっているエリナ。
「単独ボソン・ジャンプは永遠に無理だと思った方がいいよ、エリナ。
現時点でそれができるのはユリカだけ。でもユリカはそれを許可しないし、彼女を捕まえて言う事きかせるのも無理。できないの」
「…どうして?遺跡にリンクしてても意志をもつ人間なんでしょ?だったら交渉くらい」
エリナの交渉とは、ラピスたちを人質にした脅迫という意味も含んでいる。ネルガルがたとえやらなくともクリムゾンや木連がやらない保証はない、いや絶対やるだろうと彼女は考えている。
ジャンプの制御は世界を変える。新時代の人類社会全体を牛耳れる力なのだから。
だが、ラピスは首をふる。
「無理。
ユリカはアキトのいう事しか聞かない。ううん、アキトのいう事もなかなか聞いてくれない。わがままじゃなくて頑固、ゴーイングマイウェイ。アキトが昔、そう言ってた。」
「…でもそれなら」
「アキト…アキを使うのも無理。アキはユリカの掌(てのひら)の上だから」
「?どういう事それ?」
「…これ見て」
ラピスが手をかざすと、オモイカネのウインドウがいくつか開いた。
「遺跡にアクセスできるか試した時のデータ。アキトのこと尋ねてみたらいっぱい教えてくれた。アキトが今どうなっているかも」
「…これって…」
そこには、亜希のプライバシーや現在の状況に関するデータが遂一網羅されていた。細部はラピスの手で隠されていたが。
「私の仮説。
アキを女の子に変えたのはユリカ。もう人殺しなんてしたくない、そんなアキのお願いをユリカは叶えた。戦えない、オペレートもできない、兵器の設計すらできないおバカな女の子に作り変えたの。そうすれば、したくても何もできないから」
「ちょ、ちょっと待ってラピス」
エリナは慌てたようにラピスの言葉を遮った。
「もしそれが事実だとして…でもどうして女の子にしちゃったの?男のままでもいじゃない。理由がわからないわ」
「ひとつは、こっちにはこっちのアキトがいたから。もう意味がないけど。
もうひとつは、「かよわい存在」という事でユリカが想像したのがホシノルリだから。アキの体型とか未来のホシノルリに似てる。…貧乳のうえに寸胴だし」
「…いいけど、ラピスにしては私怨の入った意見ね。せめてスレンダーとか言ってあげなさいよ」
「イヤ。貧乳で寸胴。バス停。電柱。ルリはそれくらいでいい」
エリナは笑いをかみ殺している。しかしラピスは大真面目だ。
「どうせ女の子にするならエリナくらいにしてあげればいいのに。ユリカの目は腐ってる。」
「あら、ほめてくれてありがと♪」
だがさすがのエリナも、次のラピスの言葉には固まった。間違っても幼女の言うべき言葉ではなかったからだ。
「エリナとイネスはよく、アキトにパイズリしてあげてた。ふたりのおっぱいで体中マッサージしてあげたりもしてた。アキト、とても嬉しそうだった。
私にはできなかった。ルリの遺伝子のせいで寸胴で貧乳だから。悲しかったけどそのかわり、ラピスはカズノコ天井だねってオモイカネが…」
「こ、ここここここここらっ!!子供がそんな言葉使うんじゃないのっ!!」
「え?でもこれ教えてくれたのイネスとエリナだよ?」
「だぁぁぁぁぁっ!!!」
「アキトは、ユリカは頭いいんだよって言ってたけど私はただのバカだと思う。だってあの状況でふたりとも飛んだら、アキトが北辰にコマされる可能性はわかってたはずなのに。ん、やっぱりユリカはイカレポンチのスットコドッコイ」
「だーかーらー、やめなさいってばラピス!!」
「?なんで?」
緊急会議でアカツキ・ナガレが呼びにくるまで、エリナは未来の自分に悪態をつきまくっていた。
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