水音が何処からする、質素な和室だった。
座敷には三人の男、そして二人の女がいる。ひとりの女は袴姿で長い髪を後で束ねている。例えるなら大正モダン。じっと正座している様がとても絵になる。
「……」
もうひとりの女は、振り袖である。撫子の花をあしらった可憐な柄であるが、袴の女に比べると正座に慣れてないのだろう。さっきからソワソワ、もぞもぞと動いている。
「…正座に慣れぬのなら、膝を崩すがよい」
男のひとりが見かねて声をかけた。
「!あ、あははは…い、いえそんなわけにも」
「艦長。これは正式な場じゃないですし閣下はフェミニストっすから」
「で、でも…」
「いや、高杉の言う通りですユリカ殿。私はざっくばらんな話をしたいのであって、貴女を困らせたいのではない。…ふむ、そうだな」
そう言うと男は、自分も膝を崩した。
「これでよいでしょう。私も胡座(あぐら)をかかせていただくので、貴女もどうか膝を崩していただきたい」
「…はぁ。すみません。ではお言葉に甘えて」
確かに、男はそういう気遣いに慣れているようだった。ユリカはすまなそうにため息をつくと膝を横に崩し、ふう、と小さなため息をついた。
「さて、では本題なのですがユリカ艦長」
「和平に向けたお話ですね。もちろん私は賛成です。ナデシコの皆も同じ考えでしょう」
「そうですか。それは重畳。…ネルガルの方はどうかな?」
「残念ながら不明です。現在ネルガル側代表であるプロスペクター氏がユートピアコロニーに降りておられますから。彼と亜希さんたちが戻られてからの確認になります。」
「そうですか。」
「すみません。せっかく来たのですからよい土産のひとつも、と思ったのですけど」
「ははは、充分な土産なら既にいただきましたからな。」
「は?」
「いや、高杉の事があるのでわかってはいたのですが…跳躍門を使わぬ生体跳躍というもの、やはりこの目で見るのは衝撃ですな。これを巡って悲劇が起きたというのもわからぬではない。」
「そうですね。…でも」
男の横にいる女が、ふと眉をしかめた。
「貴女はつらくない?女としてその立場は。なんとかならないのかしら?」
「…ありがとうございます。」
ユリカは彼女…東舞歌に頭をさげた。
「けど、それは物理的に不可能です。それに…決めた事ですから」
「そ。けど、愚痴くらいならいつでも言いに来てねユリカさん。いつでも歓迎するから」
「ありがとうございます!」
本当に嬉しそうに笑うユリカ。その無邪気な笑顔に周囲の面々も、つい笑顔になる。
「さて。そろそろ俺、失礼します。用事がありますんでー…ってなんです?舞歌さん」
三郎太は腰をあげかけたが、腕を舞歌が掴んできた。
「正式な報告書がまだよ?高杉君」
「あ、いやでもその」
「高杉。ナデシコに向かうのならいつでもよかろう。東家のお荷物などと呼ばれぬよう、仕事くらいはすませて行くがよい」
「…な、なんで北辰殿まで。北辰殿だって、あの亜希さんってひとの動向が気になるって」
「気になるとも。何しろ、未来の我が選んだ女。何故に我があれを選んだか興味は尽きぬ」
「だったら!」
「ならぬ。それとこれとは話が別。我は一応、名前のみとはいえ優人部隊の隊長である」
「いや、俺はもう優人部隊じゃ…」
「元であろうと先であろうと、一度でも所属したからにはそのような適当は許さぬ!貴様なぞが木連男児の代表と思われては心外の極みであるし」
「いや俺別に代表じゃないし」
「やかましいぞ高杉三郎太。そなた、スバルリョーコというエステバリス乗りの娘をナデシコで口説くつもりであろう。」
「!…そ、それは」
口ごもった三郎太に、北辰がとどめをさす。
「そなたのために言っておるのだ。そのヘラヘラ笑いを引っ込めよ。我の見立てではあの娘、武に長け男らしき者に惹かれるタイプであろう。そなたは腕こそ悪くないがお調子者すぎる。嫌われるぞ」
「…いや、彼女いない歴ン十年の北辰さんに言われても「何か言ったか?」いえ何も!」
あははとこぼれる笑い。僅かなひきつりを含むが、基本的になごやかな雰囲気で会談は進んでいるようだ。
「…さて、じゃあそろそろ私、帰ります。また来ますね。」
「そうですか。ろくなおもてなしもできず申し訳ない」
「いえいえ、こちらこそすみませんでした。…高杉君北辰さん、火星に行くなら送ってくよ?」
「いや、かまわぬミスマルユリカ。我らは用事をすませた後、跳躍門で行く。皆によろしくな」
だが、ミスマルという言葉にユリカはピクッと反応した。
「んもう。違いますよ北辰さん。私はテンカワユリカ。テ・ン・カ・ワ・です!!」
「おぉ、そうであった。同一人物とは厄介なもの。すまぬな」
「うふふ、それはお互い様ですから…それじゃ」
「うむ」
ユリカは立ち上がり、しずしずとおじぎをした。皆も会釈する。
「…」
そして、すうっとその姿は透きとおり、またたく間に消えてしまった。
「…」
「…」
「…」
三人はしばし黙り、そして、草壁が口を開いた。
「…世界のために、か。代われるものなら私が代わってやりたいものだ。あの歳で…」
「仕方ありませんよ草壁閣下。彼女の運命は彼女が立ち向かうしかない…そうでしょう?」
「わかっている…わかってはいるのだが…」
「…閣下」
「ひとりの木連男児としてこの状況…無念だ。」
哀れみに満ちた顔で、草壁はつぶやいた。
特殊な立場とはいえ、たったひとりの地球人の娘に心痛める草壁。前の歴史ではまずお目にかかれる光景ではなかった。
「…」
その事態を引き起こした女は、草壁春樹の横顔を見つめていた。…とても優しい瞳で。
「では草壁殿。よろしいか?」
「うむ、頼むぞ北辰。今のうちに悲劇の芽は摘んでおくのだ」
「御意」
「それと出立の際、電子部隊の責任者にここに来るよう伝えてくれ。無人機への指令を書き換えねばならぬ」
「承知」
「そんなわけで、ここで乗り込んでいただく事になりました。イネス・フレサンジュ博士です」
「うふふ、よろしくね」
『前回』ではうやむやになった自己紹介をきちんと行い、イネスは微笑みを浮かべた。
「あのー…フレサンジュさん」
「イネスでいいわ。なあに?ミスマルユリカ」
「その、亜希さんの後ろにいるバッタさんは?」
「あ、これ?」
イネスが答える前に、亜希が笑った。
「この子ね、ついてきちゃったの。名前はター君。可愛いでしょ?」
いつのまにか、名前まで勝手につけている。
『…』
その黄色い小型のバッタ…コロニーで亜希を乗せて走り回った「彼」である…は、キュイとカメラを動かした。あいさつのつもりらしい。
「亜希。そのバッタは人間の居住区には大きすぎるぞ。部屋に詰めるか格納庫で飼ってもらえ」
「え〜、でも〜」
「でもではない。邪魔だ。飼うなとは言わぬが場所を考えろ」
いや、そうじゃないだろとブリッジの面々は内心、影護に突っこんだ。
「何かおかしいのかしら?」
「いえ、その…イネスさん。蜥蜴さんをナデシコに入れるのは」
「くすん。こんなに可愛いのに…いこ、ター君」
とぼとぼとブリッジを出て行く亜希。バッタもそれについていく。
「…バッタって、ひとに懐くの?」
「懐きますよミナトさん。ネルガル本社にいる私の妹分…ラピスというんですが、彼女も捕獲した小型のバッタをペットにしてます。皆さんびっくりされるのでネルガル社員寮から出せないんですが」
「へぇ。ルリちゃんって妹いるの?」
「はい、とても可愛いですよラピスは。地球に戻ったら皆さんにもご紹介します」
「わ、楽しみねえ。」
わいのわいのとやってるブリッジ陣。対するパイロットたちは、
「…いいけど、外の蜥蜴と紛らわしいぜ」
「大丈夫じゃない?ウリピーがきっと、わかりやすいように色塗りかえちゃうだろうし。ピンクとか」
「そっか。それもそうだな」
「ぴんくとかげ…影護…くっくっく」
「おいおいマキ。本人の前でそりゃ怒るぜいくらなんでも」
「かまわぬ」
ちなみに皆は、影護が木連人とはまだ知らない。怒ると爬虫類顔になる事からのひっかけなのだ。
…ただし、マキ・イズミ本人は当然、木星蜥蜴にもかけている。彼女だからできるブラック・ジョークだろう。
「ところでさぁ、他のひとたちはどうしたの?」
当然といえば当然の疑問をミナトが洩らす。が、
「乗らないわ他のひとは。こっちで生き抜く算段があるから」
「ええ?で、でもここは蜥蜴の占領下ですよ?」
これまた当然の疑問をメグミが言う。だが、
「このまま居るのとナデシコに乗るのとどっちが安全か。間違いなく残る方が安全でしょうね」
「!!ど、どうしてですか!?だって私たち」
「…あのね」
イネスは、やれやれと額に手をあてた。
「このコロニーを見てもわかるように、蜥蜴は火星では設備を壊さないの。占拠が完了している今となっては人間もね」
「で、でも」
「それに、この艦にはフクベ提督が乗ってる。これじゃそもそも誰も乗ってくれるわけがないわ。悪いけど」
「え?どうしてですか?提督は勇敢に戦った火星の英雄じゃないですか」
何も知らないメグミが、不思議そうな顔をする。苦笑するイネス。
「…あのね。
地球でどう言われてるのか知らないけど、ここじゃ彼は軍人のくせに数十万人の味方を殺した大量虐殺犯、しかも生き残りの民間人を盾にして逃げた裏切者なのよ?誰が信じるっていうの?」
「…え?」
なに言ってるの?と、ぽかんとした顔をするメグミ。
「やっぱり知らないのね。教えてあげるわ。
彼は確かにチューリップを撃破した。けどそのチューリップ、どこに落ちたと思う?あれよ!見なさい!」
「!」
イネスは、ユートピアコロニーの半分近くを占めている巨大なクレーターと、その中心に刺さっているチューリップを指さした。
その意味を知ったメグミ、それに一部のクルーは言葉を失った。
「で、でもそれは事故で」
「戦略上なんの意味もない、ただの意地の結果で?そういうのは事故とは言わない。ただの人殺しよ。笑わせないでくれる?お嬢ちゃん」
イネスはフン、とバカにしたように笑った。
「もっとも、今さらフクベ提督を責めるつもりなんて私にはないわ。そんな事しても誰も帰ってこないんだしね。
でも他のひとは違う。あたりまえでしょ?」
「…」
メグミは何も言えなくなってしまった。
だが、ここで彼女はイネスの言葉を理解しているわけではない。声優という職業柄、政府による報道の操作が行われている事くらいは彼女も知っているが、だからといって星ひとつ丸ごと見捨てて、その事実を隠すために犯罪者を英雄に仕立てあげる、という事までは、なんだかんだで平和ボケしている彼女には理解の外だったのだ。
つまり彼女は「言い返す言葉が見つからないから黙った」だけなのだ。
「……そっか。」
ミナトは納得したようだ。
彼女はメグミより精神年齢が高いし理解力もある。企業や軍というものを秘書職という観点からある程度知っていたからだ。
ふたりの温度差はある意味、ナデシコ内の世論を象徴しているとも言えた。
「まぁいいわ」
イネスはそんなふたりを興味深そうに見たあと、ユリカに視線を移した。
「さて、早いとこ此処から出た方がいいわよ?ミスマルユリカ」
「…そうですね。他の方をお連れできないのは残念ですけど」
「!」
ユリカの言葉にメグミが反応する。
「ユリカさん!それで納得するんですか!?」
「…メグミちゃん。私もイネスさんと同じ意見なんだよ」
「…え?」
ユリカは、寂しそうにメグミに話し掛けた。
「私、火星で生まれたの。それもこのユートピアコロニーでね」
「!!」
「だから、みんなを責められない。…イネスさんひとり乗ってくれただけでも嬉しいよ」
「……」
「わかって。メグミちゃん。
誰にだって立場はあるの。フクベ提督だって、せめて何かつぐないができたら、そんな気持ちがあったからナデシコに乗り込んだんだと思うし。そうでしょ?火星の人達が乗り込んで来たらどうなったと思う?最悪、みんなに責め殺されたかもしれないんだよ?家族の、みんなの仇って」
「!!」
まさか、という顔をするメグミ。
彼女にはわからないのだ。ひとがひとを怨むというのがどういう事か。それがどれほど悲しい事であるか。
「…(亜希が席を外したのは幸いかもしれぬな。…つらい思いをさせるところだった)」
メグミを見ていた影護が内心つぶやく。
「…」
そんな面々を、フクベは提督席に座ったまま、じっと見ていた。
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