「ほう。その手があったか。」
「バッタに乗られましたか。…これは驚きましたねえ。いったいどのようにして」
「都市の復興をさせられるのなら、タクシー代わりにするくらい容易であろう。どれ、論より証拠。やってみるとしよう」
影護は苦笑すると、ちょうど通りかかったバッタを呼び止めた。
「そこの。あの者を追いたいのだ。乗せるがよい」
『…』
そのバッタは、しばし影護を見た。そして上の小さな穴が、パカッと開いた。
「…『人形師』」
「はい?どうされましたかな?」
「逃げるぞ」
「はぁ?」
次の瞬間、ふたりの居た場所には機関銃の跳弾が炸裂した。ダダダ、キュキュキュンと激しい乱射音と反射音が響きわたる。
「か、影護さん!どうなってるんですかこれは!!」
「我に聞くな馬鹿者!おおかた命令者が特定人物以外を受けつけぬようにしているのであろうよ!」
「なんですかそれは!?じゃあ亜希さんはどうして!!」
「だから我に聞くなというのに!!…!?まずい、前方からも来るぞ『人形師』!!」
「あっちです影護さん!!」
ふたりとも、ギャグのように跳ね回り、バッタから逃げ出した。
同時刻。ナデシコ・ブリッジ。
「…イネスさんも意地悪ですねえ。亜希さん以外は通さないおつもりですか」
「?ルリルリ。なに見てるの?」
「笑劇、ですかね」
「笑劇?」
「はい」
ルリは、クスッと笑った。
「う〜ん。ここまで復興してるのかあ。驚きよね。」
バッタの上はしごく快適だった。亜希は懐かしい、しかしどこか異和感のある新しい街並をながめる。新装されたはいいが無人で商品もないコンビニなんかを横目で見つつ、あちこちをキョロキョロと見回して。
「う〜ん。それにしても、どこにいるんだろイネス。…ねえバッタちゃん。対人反応ない?」
『…』
ちなみにバッタと亜希は音声ではないがちゃんと会話している。しゃべれないバッタだがジェスチュアやランプの光で答えくらいはしてくれるようにできているのだ。
そして、ユーチャリス時代にアキトはよくバッタと会話した。それは作戦のためではない。動物がいないユーチャリスのため、ラピスはペットの代わりに小型のバッタをペットにしていたのだ…そう。木連人のように。
「下?あっそうか。よし、地下道入り口探してくれる?」
『…』
肯定するかのようにカメラアイが青く輝く。
バッタは先刻から、遠くで行われている影護たちのドタバタを感知している。しかし亜希には告げない。彼の仕事はお姫様の足となる事であり、お姫様につきまとう他の人間は必要ないのだ。
バッタにはいくつかの種類がある。
このバッタは本来、戦闘用ではない。むしろ格納庫で作業員の補助をしたり、家庭で雑用をしたりするタイプだ。戦闘力が低いので制圧完了した都市を徘徊、雑用をさせられているのである。史実で白鳥ユキナが持ってきたロボット通信機を少し大きくした姿を想像してみるといい。そういうものだ。亜希は乗っているが本来はもちろん乗用ではない。亜希が小柄だから乗れてしまうというだけで、ちょっと狭いながらナデシコの廊下を歩き、身体を傾ければ影護たちの家族部屋くらいなら出入りが可能なサイズだ。
そんな彼だが、どういうわけか亜希を主と認めたようだ。本来はありえないのだが、なんらかの理由で上位組織の指示より亜希の「お願い」が上まわった。そんなわけで彼はお姫様を乗せ、言われるままに街を歩いているのである。
「えっとぉ〜…!あ、それ入り口かな?ちょっとそこ行ってくれる?」
バッタは素直にそれに従い、カチャカチャと音をたてながらその大きな防火扉の前に来た。
「ん、『地下道入り口』。これっぽいな。えーと開閉コードは…あれ?」
亜希たちの目の前で、赤く灯っていたパイロットランプが緑に変わった。
「おりょ?開く?」
カコン、という音がしてそのまま開き出す。亜希たちは斜め後ろに、ゆっくりと下がる。中から何か出て来た場合に備えてだ。
「…!あ」
「はぁい、おひさしぶり…というべきかしらこの場合?」
「…イネス」
扉の間から、懐かしい顔…イネス・フレサンジュが顔を出した。
その時、影護たちは亜希はまるで反対側の市街地に追いやられていた。
「ふぅ、ふぅ…止まったようだな『人形師』」
「そうですな。…しかし影護さん、その名前はやめていただけませんかな?私の名前はプロスペクターです」
「そうか。よい名だと思うのだがな」
「会計に相応しい名前ではないでしょう?」
「ふむ、まぁそれもそうか。わかった『人形師』」
「…ふざけてないで真面目にお願いします、影護さん」
はぁ、とため息をつく。
「それにしても、完全に亜希さんを見失いましたなあ。」
「…行くぞ」
「おや、わかるのですか?」
「愛の力だ」
「…はぁ?」
「冗談だ。…まぁ大雑把にならわかる。あとは妖精に聞けば入り口まではなんとかなるであろう」
「なるほど。では急ぎましょう」
「うむ」
似合わない事を言ったとわかっているのだろう。影護は照れている。
(…)
ちなみにこの言葉をコミュニケごしに聞いていたブリッジ三人娘が、顔を見合わせてクスクス笑いしていたのはここだけの話である。
…ていうか、攻撃されてたんだから一応心配してやれ三人とも。
「え?じゃあ、これはイネスが制御してるんじゃないの?」
「えぇ、してないわ。だから誰もいないでしょ?」
亜希にコーヒーカップを渡しつつ、イネスは首をすくめた。
ちなみにバッタはこの部屋の入り口で待たせている。ふたりっきりで話をしたい、そうイネスが言ったからだ。
ふたりがいるのは、この地下施設の警備員詰所である。事務用の椅子と監視用機器が並んでいる。殺風景であるがこの町のあちこちが見えるわけで、イネスが常用している場所のひとつだった。
「生き残りの人たちは、この戦争の行く方を見守ってるわ。木連にも、ナデシコにも見つからない場所に町を作ってね。」
「…そう」
考えてみれば、『前回』のミスマルユリカの失態を知るイネスである。住人たちをユートピアコロニーに留まらせるわけがなかった。
「ま、前回の事もあるけど、こうでしょ何しろ。いくら平和でも不安よねえ。叢雲のごとくバッタに埋めつくされた町。普通の人間なら不安でいられないわよ」
「そっか。でも、だったら誰が操作してるのかなあのバッタたち?木連側にもわからないように?」
都市まるごと守備できるほどの多量のバッタである。しかも木連側の支配を無視させるのみならず、それを木連側にも異常と思わせず配置させ続けなければならない。
「…木連側は知ってるわよ。先日、タカスギ君が遊びに来たもの」
「え?」
「向こうも結構、面白い事になってるみたいよ?知ってる?草壁春樹が交戦派から和平中立派に傾きかけてるって話」
「!?」
亜希はその瞬間、ブブッとコーヒーを吐きだしそうになった。
「ぐ…!?げ、けほ、げほごほ」
「あらあら…大丈夫?」
「こほ、けほ……い、いねず〜」
「?なあに?あ・き・ちゃん♪」
「…」
嫌味たっぷりに、かわいらしく言うイネスをギロリと睨む亜希。
だが、あの頃のアキトだから迫力があったわけで…亜希の怒りはむしろイネスを喜ばせたようだ。ぐりぐりと頭をなでられ、うがーと嘆く亜希。楽しそうなイネス。
「…あのねイネス」
「なあに?」
「…草壁が和平派?四月一日じゃないっての!」
「冗談じゃないのよねこれが。私も信じられなかったんだけど、木連の放送とか傍受みてみたら確かにそう言ってるのよ。」
「…放送?」
「ええそう。知ってる?昔はテレビやラジオの放送を無線でやってたの。木連はコロニーの集合体でしょ?小さいとこなんかだとフィーダ(中継)波をそのまま放送電波として利用してたりするのよ。これも初期にはAM波、次にSSB波、そしてFM…」
「なるほど。それを傍受するってわけ」
「…ええそうよ。ただし、フィーダ波は指向性が強いから火星で傍受するのは大変なんだけどね。」
さすがはイネスである。一の質問に対して淀む事なく返事が返るのだが放っておくと延々続けそうだ。
だから亜希は必要な分だけ聞いたらバッサリと切る。これは王子様時代の癖である。当然イネスは機嫌をそこねるが、いいかげんそれが頂点に達したところでベッドでムニャムニャ、というのがいつものパターンだったわけだ。
「…」
さて、イネスはそんな亜希を懐かしそうに見ている。…が、次第にやっぱり不快そうな顔になっていく。さすがの「元おにいちゃん」でも、説明を妨害され続けるのはやっぱり腹立たしいようだ。
「…どうして?なんで草壁が?」
「それが素敵なのよね〜。原因、なんだと思う?」
「?」
「女よ。お・ん・な!」
「…女ぁ!?」
「ええそう、女」
くっくっくっ、と笑い出すイネス。呆然としている亜希。
「木連の女性挺身部隊って知ってる?いわゆる銃後の守りを助けるための特別部隊なんだけど」
「…銃後ねえ。竹槍で銃剣術でもするの?」
「あのね。あなた歳いくつよいったい。」
呆れたように頭をかくイネス。
「木連は軍事社会なのよね。大昔の大日本帝国式っていうかそんなもの。で、そういう社会では町内会レベルまで色々な活動をするわけ。そうやって国の「草の根」を身を挺して支える。だから挺身部隊。わかった?」
「…んー、なんとなく。影護にも少し聞いてるし」
「とにかく、挺身部隊は草の根がベースだからもともとあんまりガチガチの運営はされてないの。和平派も抗戦派も日曜日の町内会活動にはあまり関係ないものね。で、その挺身部隊のトップ、東舞歌っていう女性がいるんだけどー」
「…その人と草壁が?…でもなんで?それがどうしてこんな歴史の変化に関係するわけ?」
「うふ…面白いのはここからなのよ。
本来、草壁春樹は徹底抗戦派の最右翼。自分の信念こそが全てってタイプね。でも彼にはたったひとつ弱点、というか、ぶっちゃけた話、東舞歌が好きだったわけ。でも政治的思惑とかいろいろあって、どうしても接近するチャンスがなかった。前回の歴史では結局そのままになっちゃったらしいのね。彼女は未亡人なんだけど、夫が亡くなってから挺身活動いちずで全然色気のない暮らしをしてたらしいから」
「…ふむ。じゃあ、何かきっかけがあったんだ」
「正解。
彼女のところに、ちょっと厄介な問題を持ちこんだひとがいたの。身よりのない女性の保護についてなんだけど、その女性って実は木連人でなく地球人でね。木連の男性と、それを知ったうえで結婚しちゃったの」
「!マジ!?」
「えぇ、マジよ。…で、彼と帰国したいんだけど、このままじゃスパイと思われかねない。だから東舞歌に相談が来たの。彼女は立場上、結婚問題もたくさん扱ってるから」
「国際結婚ってやつ?…はぁ、それにしても大胆だなぁ。敵同士なのに」
亜希は一瞬、白鳥九十九とミナトのふたりを思い出した。
「そうなのよねー。いくらなんでもこのご時勢で国際結婚、しかも木連と地球連合だものねえ。へたすると、政治的思惑なんかにも巻き込まれるわねえ」
「…はぁ。バカだね。せめて終戦までどこかに隠れてればいいのに」
「ほんとほんと。バカだわ」
「…?」
どういうわけか、イネスは意味ありげな目線を亜希に送っている。
「…なに?イネス」
「まだわかんないの?…しょうがないわねもう。じゃあいい?
そもそも、この一件がどうして草壁春樹と東舞歌、両者の接近のきっかけになったと思う?」
「?」
「簡単よ。この話を持ちこんだのが草壁の部下だったから」
「!」
亜希の目が驚きに開かれた。
「その彼、草壁に持ちこむとふたりとも殺されるだろうって心痛めたらしいのね。で、わざわざ自分の上司じゃないのにコネをたどって東家に渡りをつけたの。
でもね、東家っていうのは本来、和平派なの。草壁は部下が裏切ったのかと思ったのね。その部下を呼び出しその真意を聞いた。部下は自分だけでなく東舞歌を間に立てた。女性問題が絡む以上、どうしても彼女をまじえて欲しいと草壁を説得してね」
「…あの草壁が、よく折れたね。」
「相手が東舞歌だから、でしょ。草壁は過激派だけど鬼畜じゃない。極端な理想派だけどやっぱり、ひとの子なのよ。」
「……」
「ま、もちろんそれだけじゃないけど、とにかく色々あったらしいの。結果として草壁春樹は東舞歌と部下の提案をうけいれた。ふたりを和平の象徴とするっていう事を前堤にね。すごいでしょ?こっちの世界版、白鳥・ミナトコンビってわけ。しかも今度は草壁までバックについてる。以前のような事はないわ。」
「はぁ…大変だねそのカップルってのも。それで今どうしてるのそのふたり。誰が保護してるの?少なくとも停戦までは木連軍の庇護下におかないとまずいよね?」
「うふふ、そうよね。ま、そこんとこが色々と複雑なんだけど」
「???」
楽しそうに笑い出すイネスに、亜希は「???」な顔をしている。
「わからないならわからなくてもいいわ、おバカさん♪」
「…」
つん、と亜希の鼻をつっつき、イネスはまたケラケラと笑った。
隣の部屋で壁に耳をあて、その会話を聞いている者たちがいた。
「…国際結婚、ですか。…これはやはり…」
「…我と亜希のことだな、おそらく」
「ですなあ。影護さんはこの『部下』が何者かおわかりで?」
「…こっちの時間の「我」だ。亜希がサツキミドリで遭遇しておる」
「!そうですか。」
「…プロスペクター」
「はい?」
影護は、殺意をにじませた顔をプロスに向けた。
「…そなた、敵にまわるでないぞ」
「…ええ、そのつもりですが」
「…ネルガルが敵にまわりそうなら、早急に手をうつがいい。裏切るならそなたを消し、ナデシコを消し、ネルガルも消す。…わかるな?」
「ええ、わかりますとも。…それに私も、メリットがありますからな」
「?」
プロスペクターは、微笑んだ。
「正直、影護さん。あなたは危険すぎます。」
「…」
「ですが、亜希さんの存在がその危険度を大幅に下げている。いやむしろ、彼女が介在する事によりあなたは普通に生きられると思います。そしてそれは私の、そしてネルガルの利益にもなる。」
「なぜそう思うのだ?」
「私もバカじゃありませんよ影護さん。あなたがここ数年、どのような活動をしていたかある程度の調べはしております。ネルガル獅子身中の虫であった社長派の非合法施設の破壊。そしてクリムゾンの実験の妨害。あれはあなたの仕事だと踏んでおりますが?」
「…さて、なんの話かな?そのようなメリットにも何にもならぬ事をなぜ我がせねばならぬ?」
「…ありますよあなたには。…亜希さんの「お願い」でしょう?彼女は人体実験やそれに類するものをひどく嫌いますからな」
「……」
影護は何も言わない。が、苦虫を噛みつぶしたような顔が全てを物語っていた。
「亜希さんの思いは、我々ネルガルの思いでもあります。そもそも私たちネルガルは火星にマーケットを求めていた。今も求めています。この戦争が終われば入植が再開される。地球側、木連側、どちらからも人は来る。多くのひとで火星は再び賑わうでしょう。そしてそこには需要も発生する」
「…そうだな」
「で、あなたがたも火星移住を望まれている。そうですな?」
「うむ、そうだ…!ちょっとまて、まさかそなたは」
「はい。」
プロスペクターは満面の笑みを浮かべた。
「その際には、ネルガル火星支部をおふたりにお任せしたいのです。私もその時はお手伝いさせていただきますが」
「…正気か?我は」
「木連ゆかりの方ならなおさら。そして亜希さんは火星出身。さらに今やおふたりは木連側肝いりの国際結婚カップルですな。しかも影護さんは治安部としての腕前も最高級です。はて、これ以上の適材が太陽系のどこにいるというのです?」
「…呆れたものだ。とんだ狸の皮算用だぞそれは」
影護は心底呆れた顔をした。
「確かに、我と亜希は木連の目にとまったようだ。しかしそれは同時に最大級の危険も意味する。交戦派にとっては格好の獲物なのだからな」
「はい、そうですな。」
「そうですな、ではない。
わかっておるのかプロスペクター。草壁殿が動くなら木連の危険は確かに激減するだろう。しかし今度は地球連合が危険になる。軍もしかり、クリムゾンもしかり。あの連中は戦争を長引かせ利鞘をかせぐ事しか頭にない」
「…ほう。やはりクリムゾンですか。我々の調査でもそうでしたが、これで裏付けがとれましたな」
「…だからといって危険である事には変わらぬ。やれやれ、亜希はかわいそうだがこれでナデシコにもいられぬな。どこかに身を隠さねば」
「身を隠す?なぜですか影護さん?」
「…なんだと?」
微笑むプロスに、首をかしげる影護。
「むしろ、私たちネルガルはおふたりを守護いたしますな。その全てをかけて」
「…」
「おわかりになりませんかな?簡単ではないですか。あなたがたの守護は今や木連主流派の意志。ならば、その意志に沿えば木連に大きな貸しを作れるのではないですか?」
「!!」
「先程も申し上げましたが、私たちネルガルは火星の利権が欲しいのですよ影護さん。
現状、そのパイプを握っているのはクリムゾンでした。ですがそれはクリムゾンには利益であっても、木連側にはそうではなかったはずです。理由ですか?簡単です。クリムゾンは地球連合との癒着が強すぎる。彼らはそれを決して快くは思っていないはずなのです」
「…ふむ、その通りだ」
「しかし、和平に傾くなら話は別です。こちらには影護さんと亜希さんがおりますからな。しかも、既に先方と接触を持ったイネス博士はネルガルの社員。これは強いですな。しかもネルガルは軍とのパイプが弱い。そもそも私たちが火星に出て来たのも、がんじがらめの地球を離れてこちらで商売がしたかったからなのですから」
「…なるほど。現在の木連とのパイプはむしろ願ったりかなったり、というわけか」
「はい、さようで」
わかっていただけましたか、とプロスは笑った。
「ただちに本社に連絡をとりましょう。おそらくスキャパレリ・プロジェクトはここで大幅な転換となると思われます。木連の方々の協力があれば新時代の展開もたやすいでしょうしな」
「…そして、極冠遺跡の研究も、か」
「!さすがにおわかりですか。はい、その通りで」
「…さて、そううまく行くかな?プロスペクター」
「行かせますよ影護さん。そのために私もいるのですから」
「…そうか」
影護は、ふむ、とつぶやいた。
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