通称・影護部屋。ようするに影護と亜希の家族部屋。夜である。
「……」
まだ呆然としている亜希。困ったようにそれを見る影護。
亜希はベッドに座っている。促されるままに食事をし風呂に入った亜希だが、心ここにあらず、といった状況はブリッジにあった時から変わらない。影護はそんな亜希を抱きあげ、ここに運んだのである。
「…仕方ないか。亜希、そこに横になれ」
「…」
聞こえていないらしい。あるいは聞く余裕すらもないという事か。影護は苦笑すると、亜希を押し倒した。
「…ん」
機械的にただ、軽い嬌声をあげる亜希。影護はそれをじっと見つめ、ネグリジェの下から手を入れる。
「…んんっ」
「…」
やはり、機械的な反応だった。影護が指示したわけでもないのに下着をつけていない。指先に、とろんと液体の感触をおぼえ、影護は殺那、固まる。
「…相当にやられておるな。」
「…」
亜希は決して、自分から身体を許す事はない。
すっかり女性化したとはいえ、元々はあの「テンカワアキト」なのだ。女として「される」のには強い抵抗を示すのだ。1度はじめてしまえば身体の要求に勝てないようだが、そこまで持ちこむのはいつも「無理矢理」だった。
だから今の状況はとても異常な事なのである。
「…仕方ない。少しなぶってみるか」
影護はコミュニケをつつ、と操作した。
『はい、ルリです。影護さん、どうされました?』
「すまぬが妖精、そなたに頼みがある。これを見よ」
『!』
ベッドで力なく伸びている亜希を見せる。痛々しそうな顔をするルリ。
「見ての通りだ。で、そなたに協力を頼みたい」
『…おっしゃってる意味がよくわかりません。私にどうせよと言うのですか?』
「鈍いなそなたも。これを一晩貸すと言っておるのだ。好きに遊ぶがよい」
『!正気ですか?私は』
「『男』ではできぬ事もある。…今のこやつには『女』を与えた方がよい。」
『…ようするに、私の身体で癒せという事ですか』
「その通り。わかっておるではないか。」
北辰は平然と頷いた。ルリは絶句している。
『……もう少しデリカシーを持ってください。普通いきなりそんな事言われたら拒否しますよ』
「くだらぬ。拒まぬとわかっている以上、時間の無駄ではないか」
『…ひどい言い方ですね。私をなんだと思っているんですか?』
「…さあな。我にもわからぬ。」
『…』
「拒むならミスマルユリカに振るぞ。もっともあの女はちと危険すぎるのでな。我としても、素直で扱いやすいそなたの方が望ましい」
『…騙しやすいということですかこれは』
「ほう。逆らうか。ではやはりミスマルユリカに…」
『誰も拒否していません。わかりました、行きます』
そう言い残すと、そそくさとウインドウが閉じた。
「…騙す必要などないわ。自分から罠に堕ちるような小娘なぞ」
影護は「北辰」の顔で、ニヤリと笑った。
「とにかく、影護亜希とあの男は危険だ!」
「まぁまぁゴートさん、落ち着いてくれませんか」
ナデシコ保安部詰所。プロス、そしてゴートが話している。
「先日の機動兵器、非常識にも限度がある。あれが現在の連合軍にないものである事は明白だ」
「それは違いますなゴートさん」
プロスペクターは、にっこりと笑った。
「確かにあのブラックサレナという機動兵器は凄まじい戦闘力を持っていました。ですがゴートさん、あれに人間が乗れるとお思いですか?」
「…なんだと?」
「あの戦闘力は大変なものです。どこのメーカーかは知りませんが、正式に生産、配備されればこの戦争そのものが根底から覆されるでしょうな。
しかし、いかに力があっても人間が乗れなくてはお話にならない。違いますか?」
「…それはそうだが」
ゴートが苦い顔をする。プロスは対照的ににっこりと笑う。
「これは私の推測なのですが…亜希さんはあのブラックサレナに以前乗っていた。で、おそらく身体を痛めてしまい、無理ができなくなったのだと思います。考えてくださいゴートさん。あの機動兵器、性能は確かに桁違いですが中の人間はどうでしょう?」
「!」
「…ええ、おそらくゴートさんの推測通りだと思います。
確かに性能は桁外れかもしれない。しかし、あれほどのものを乗りこなせる人間でさえその機動に耐えられず身体を壊してしまう。…乗り手を破壊し乗り潰してしまう機動兵器なぞ実用になるでしょうか?」
「…なるほど。」
確かに、そんな機動兵器なぞ実用にはならないだろう。
事実、サレナは五感のないアキトだからこそ乗りこなせた兵器だと言える。まともな感覚を持つ人間はサレナのもたらす機動に耐えられない。だからこそサレナより後に作られたアルストロメリアでは性能をわざと落とし、かわりに柔軟な機動や常人レベルの扱いやすさを追及。結果としてベストセラーとなった。
こういう例は、実は過去にもある。
二十世紀の中ごろ、英国ビンセント社が「ブラックシャドウ」というオートバイを売り出した。ノーマルで時速160km、改造してスピードアップを図ったモデルは298km/hをマークし世界記録にもなった。後に栄華を誇った日本製のオートバイなぞ、影も形もなかった時代。皆は驚いた。それはそうだ。ワークスレーサーでさえそんな速度は出なかったのに、大改造したとはいえ市販車ベースでそこまで行ってしまったのだから。
だが、それほどのモンスターを扱えるライダーは当事ほとんどおらず、走れる公道もほとんどない。そもそもフレーム強度もブレーキ技術も、そんな化け物のようなエンジンを扱えるレベルには程遠い時代だった。結果として事故による死者が続出し、ブラックシャドウは「ウイドウメーカー(未亡人作り)」という名前をはじめて冠せられたオートバイとなった。後の世に時速300km/hを越える市販車が改めて発売されたが、そこに至るには実に半世紀、という膨大なる時間を要したのである。
そう。いずれはサレナを越える機体も生まれるだろう。つまりサレナは「現代のブラックシャドウ」なのだ。
閑話休題。
「では、影護の件はどうなのだ?」
「亜希さんがどこかのテストパイロットならば、彼もその筋の方だったのでしょう。まぁ人間ですからそこには様々な愛憎劇などあったかもしれません。しかしそれはプライバシーの問題ですな。」
「それはそうだが…ではあの機体がどこかのメーカーの規格外のテストベッドであったとする。それはそれで問題だがとりあえず置いておこう。で、ホシノがふたりと知り合いなのはどう説明するのだ?」
いつのまにか、ゴートが疑問を呈しそれにプロスが答えるという形に落ち着きつつあるようだ。
「それはわかりませんな。しかし、ルリさんは優れたオペレート能力をお持ちですから…公式記録にはありませんが、その筋で過去におふたりと接触があった、と考えるのが妥当ではないかと。実際、亜希さんのことは少なくとも身体を壊す以前から知っていたように思われますし」
「…」
「納得いかない、という顔ですなゴートさん?」
「…いくわけがないだろう」
ゴートホーリの顔は冴えない。元々の地顔からして武骨顔の彼だが、今はあからさまに不機嫌そうだ。
「うさんくさいにも限度がある。そもそも彼らの目的はなんだ?なんのためにナデシコに乗ったのだ?蜥蜴の襲撃をまるで知っていたかのようなタイミングで」
「…ほほう。そこまでお疑いですか」
「影護に至っては名前すら名乗っていない。」
「私も名乗っておりませんが?」
「ミスターは別だろう。立場が違う」
「…違いませんよゴートさん」
プロスは、中指でスッと眼鏡をもちあげた。
「ゴートさん。誰にだって思惑というものはある。あたりまえでしょう。誰が好き好んでこのご時勢に戦艦に乗りますか?民間だから?違いますな。戦艦である以上、戦争に巻き込まれる可能性から逃れる事はできない。…まぁわかってらっしゃらない方もかなりおられるのは事実ですが」
「…」
「影護さんや亜希さんは戦争をわかっている。わかっていてナデシコに乗った。軍でなくナデシコに、です。わかりますか?ゴートさん。この意味が」
「…ふむ」
にっこりと笑うプロス。腕組みをするゴート。
「これだけは断言できますよゴートさん。
彼らにどんな思惑があれ、彼らはナデシコの害になる事だけはしないでしょう。それだけでいいじゃないですか。今のところは」
「…」
無言のゴートに、プロスはただ微笑むだけだった。
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