ブラックサレナの内部では、めまぐるしい計算が行われていた。
アキトと思われし精神パターンをキャッチしたが、その精神の持ち主があまりにも変わり果てている事がわかってきたからだ。サレナのAIはオモイカネのそれとは違い、バッタに近いものだ。元はと言えばオモイカネと同じアーキテクチャ、というより厳密にはこちらがオリジナルの流れにあるものなのだがいかんせん知性が低い。その乏しい知性で現在のアキトについて推論を行い、保護する道を摸索していた。
保護したところで時を越え、戻る事もできないのに。
だがサレナのAIにはそこまで思い遣る機能がない。アキトを保護する、ただそれだけを着実に実行しようとしていた。
『思考を含むあらゆる改造が行われた可能性あり。現在の黒百合は非常に危険な状態にあると思われる』
『ナデシコはホシノルリ、北辰の支配下にあると推定される。ただちにナデシコを破壊、黒百合を回収しなくてはならない。黒百合の保護はラピスラズリ、イネス・フレサンジュ、エリナ・キンジョウ・ウォン三名によりあらゆる事柄を差し置いて最優先と設定されている。たとえ何があろうと黒百合を取りもどし、安全に送り届けなければならない。』
『本機では狭いナデシコには乗り込めない。ジャンプができない以上、内部に入る事は船体の破壊を意味する。無理な回収は危険である』
『だが、回収せねば黒百合が危険である。本機を破壊しても黒百合を救わねばならない。各クラスタの提案を求める。』
『こちら乗員保護クラスタ。黒百合自身の協力を取り付ける事はできないだろうか』
『こちら論理クラスタ。それは難度が高い。現在の黒百合は洗脳されていると思われる。』
『しかし他に方法がない。サツキミドリに下船させる、あるいは小型ポッドで脱出させるのが最善である。しかる後にナデシコの相転移エンジンを破壊、行動不能にすればよい』
『賛同する』『肯定する』
『ナデシコ破壊はどうか』
『ホシノルリとミスマルユリカが乗艦している。可能な限り停止させるにとどめよ。防ぎきれぬ場合にのみ破壊せよ』
『ナデシコの欠点について考察』
『フィールドを破り後部エンジンブロックを攻撃する。初代ナデシコは後方に攻撃できない欠陥船である。エステバリスがいるが能力も練度も微量でしかない。北辰がいない限り戦力として換算する必要はない』
『それでは行動開始。』
同時刻。サツキミドリ格納庫。
「くっ!なんたる事だ!よりによって初期型エステバリスなぞで、無人とはいえあのブラック・サレナを相手にするとは…」
エステバリスの性能は、決してサレナに劣るものではない。
活動時間を伸ばす事と機動力のアップという相反する事柄を無理矢理かなえようとしてできた追加装甲、ブラックサレナ。しかし「追加」なのだ。鎧をまとえば行動力は低下する。実際サレナは格闘戦に弱いし手足の可動範囲も狭い。そのかわり北辰戦のそれでもわかるように、完全な組み手に移行する前の打撃戦では威力が大きいのだが。
結局のところ、サレナは拠点強襲用の機体なのだ。
だが、だからといってエステバリスがサレナに勝てるかというとこれは全くの別問題だ。防御力は桁違い、加速はまるでお話にならず打撃でも喰らえばこちらはフィールドジェネレータがもたない。カスタム化+追加装甲とはいえ出力だけで言えば相転移ユニットを積むゼロG戦フレームを上まわり、動きは次世代汎用機アルストロメリア以上。とてもじゃないがまともにガチンコする相手ではない。
「なんだおっさん、蜥蜴の襲撃か?」
「…おまえたちは出ても戦闘には参加するな。遠くから見るだけだ。絶対だぞ?よいな?」
「は?何言ってんだよ?」
リョーコが訝しげな顔を影護に向ける。
「俺たちゃパイロットだぜ?あんたがどれだけの経験者か知らねえけど…」
「その時点で論外なのだ、馬鹿者。戦う相手も知らず我の技量も知らずにキャンキャン吠えるな、くだらぬ」
「な、なんだとぉコラ!」
ついに頭に来たリョーコが影護に殴りかかろうとする。が、
「愚かな」
「!?」
殴ろうとしたリョーコはなぜか次の瞬間、顔から床に突っこんでいた。
「ぐわっ!!……こ、ここここのぉっ!!」
「よしなリョーコ!!」
そのリョーコを、イズミが鋭い叱斥で止めた。
「な、なにしやがるイズミ、放せ!放せよ!」
「…相手を見て喧嘩しなリョーコ。虎に猫が喧嘩売ってどうするの」
「!!な…」
あまりのイズミの科白に絶句するリョーコ。
「…ごめんなさい。これの事は代わりに謝るわ」
「…いや、いい。我も悪かった。亜希のやつに釘を刺されてはいたのだが…どうもこの性分は直らぬようだ」
影護は苦笑すると、リョーコの方を見た。
「スバル・リョーコとやら。憤慨する気持ちはわかるが冷静さを欠くな。士気が高いのは素晴しき事だがそれがそなたの欠点だ」
「!」
うっ、とリョーコがうめく。
「技量について言えば、そなたらは確かに悪くないのかもしれぬ。その自信は根拠なきものとも思えぬしな。
だが、そうであっても所詮、連合軍兵士の一般的レベルと比べての話にすぎぬ。そんなもの我には子供の遊びと変わらぬ。」
「…なんだと?」
リョーコの目が開かれる。
「また、今から我が戦おうとする相手は無人なれど、我が数度に渡り生命のやりとりをした化け物だ。動きも早い。そなたは先程、我の動きが見えなんだろう?」
「ああ」
「そういう動きをする機動兵器だと思え。」
「…なんだって?…マジかよ。そんなの聞いた事もないぜ。どんな火力があったって、結局は無人兵器じゃねえか。戦術じゃ…」
「ふむ、そうか。では今から聞け、そして見よ。そなたの言う『結局は無人兵器』がどのような化け物か。さすれば、特に格闘系のそなたには相手が最もよくわかるだろうからな。」
「…」
「返事はないのか?スバル・リョーコ」
「…わかったよ」
四人はエステバリスに乗り、格納庫の出口に来た。
「全員、バッシブセンサーを付けよ。十時の方向にいる戦艦がナデシコだ。覚えよ」
『ああ』
『あれだね〜。うんうん、写真で見た通り』
『…白い木馬?』
「約一名、妙な反応をしているが…まあよい。で、二次の方向、闇の中を見よ。漆黒に塗られた機動兵器がいるのがわかるか?」
『…何も映らないよ〜』
「あたりまえだ。最新のステルス装備をまとっておるからな。エステより少し大きいくらいだ。ほとんど隠れておるが稼働ランプが目視できる。マキ・イズミは狙撃系か?そなたの目なら見えよう。」
『……見えたわ。月光で微かに輪郭も見えるわね…2人にはたぶん見えない』
「上等。そなた本当に遠距離型だな。スバルは単距離…アマノは中間で双方の補助か?」
『わ…すごい。そんなとこまでわかるんだぁ。』
「無論。さて」
影護のエステは三人から少し離れた。
「そなたらは我の戦いを見つつ、まずはナデシコに向かえ。戻ったらこの戦闘の観想など聞かせてもらおう。まぁ研修といったところだ」
『凄え自信だな。うん、是非見せて貰うぜ!』
「ふ、元気のいい事だ。ではな」
突如としてブリッジに通信が開いた。
「あれ?誰かが通信してきてます…ってあれ?あれ?」
「…ハッキングですメグミさん。気にしないでください。…通信開きます。」
「戦艦にハッキングだと!?なんなのだあの機動兵器は!?」
ゴートが唸る。フクベも目を見開いている。
「サウンドオンリーですが気にしないでください。相手は機械ですから」
ルリが復活していた。
彼女はユリカに頬をはたかれ、1分ほど前にやっと正気に返った。今も少し震えているがオペレートはきちんと行っている。
「……」
亜希が、悲しそうな目でモニターを見ている。
『機動戦艦ナデシコ。我は黒百合の鎧、ブラックサレナ。我が主人を引き渡せ』
「な…なんですかこれ。機械音声?」
メグミが困惑したような声をあげる。
「機械だからですメグミさん。まぁ機械でもオモイカネ級ならちゃんと人間らしく話せますが、それほどの練度のAIを機動兵器に搭載するのはまだまだ夢物語の範疇です」
『繰りかえす。我が主人を引き渡せ。さもなくば攻撃を開始する』
「攻撃っていってもねえ。フィールド破れるのかしら?」
ミナトがつぶやく。
「ミナトさん。ナデシコのフィールドはそんな絶対じゃありませんよ。高出力の機動兵器があれば突破は容易ですし、なければミサイルでも潰せます」
「え?…だってそれじゃあ」
ふるふる、とルリは首を振る。
「そんな無敵のバリアー、作れたとしても実用にならないですよ。だいいちそれじゃどうやってナデシコは飛ぶんですか?それに光も電波も通過できないから真暗闇のうえ通信もできないです。閉じ込められちゃいます」
あ、とミナトがつぶやく。
「バッタやジョロの攻撃は打撃面という意味では結構散発的なんです。だからナデシコでも防げます。ですがもしバッタの戦闘アルゴリズムが改善され、全てのバッタで一点集中攻撃するよう調整したとしましょう。結構なバッタを無駄にしますが、フィールドを突き破って中に乗り込むのは難しくありません。まぁ少なくとも現時点では無理でしょうが」
「…へえ」
そんなこんなしている間に、時間は過ぎていく。
「…こちら、機動戦艦ナデシコ艦長ミスマルユリカです。黒百合というひとはこの艦にはいません。お間違えではないですか?」
『オマチガエ…間違いではない。そちらでカゲモリ・アキと名乗っている者がそうである』
「「「!!!」」」
ブリッジ内部に緊張が走った。
「なぜ亜希さんを?彼女はこの艦の乗員の家族であり、今はオブザーバーの立場でもあります。申し訳ありませんが、理由も聞かずご家族の影護さんの許可も得ず、ただ引き渡すわけには参りません」
『繰りかえす。わが主人を引き渡せ。繰りかえす。』
「ダメだ。会話が成立していない」
ゴートが無表情につぶやく。
『マスター。お迎えに参りました。お近くのエアロックまたは脱出ポッドまでお越し下さい。マスター、聞いておられますか?』
「「「(…マスター???)」」」
ブリッジ陣の?印はみるみる増大していく。
「サレナ。わざわざ迎えに来てくれたのは嬉しいけど、もう私は帰れないの。あきらめなさい」
『アキラメル、いいえ拒否いたします』
「サレナ!!命令よ、聞けないの?」
『メイレイ、司令、聞けません。マスターの保護が第一です』
サレナは亜希の叫びを、にべもなく突っ返した。
『マスターに何かあった場合の保護は、本機の存続など問題にしない絶対命令です。この点においてはマスターの意識より、彼女たちの指示が優先されます。』
「「「(彼女たち???)」」」
先程からサレナは、アキト、イネス等の固有名詞を一切使っていない。これらは機密に属するからだ。
「…ナデシコに収容しちゃえばいいんじゃないかな?亜希さんのものなら」
「ダメ、メグミちゃん。サレナはナデシコを敵対者とみなしてる」
「!?な、なんでですか亜希さん!?」
「…ごめん」
メグミの驚きに、亜希は苦笑して返す。
『マスターは現在、正常な判断力を欠いています。肉体的にも私を運転できる状態ではありません。ただちに帰還し医療スタッフによる治療を受ける必要があります。』
「あのね…帰るってどうやって帰るの?」
『……え?』
困惑ぎみの声が返ってくる。亜希はバカねえ、と笑う。
「まぁ、所詮は進化した脱出(イグゼクション)システムか。そこまでは考えてなかったのね?…あのねサレナ、物理的に帰還する方法がないのよ。ここにはそれのできる母艦もないし、私もその能力はもはや持ってない。誰もね」
『…それは』
厳密に言うとミスマルユリカ、それに火星にいるイネス・フレサンジュはそれが可能だ、と亜希は内心つぶやいた。
けれど、ユリカはあのユリカではない。だから未来をイメージングできない。イネスは可能かもしれないが、そもそも亜希にもう帰る意志がない。
(…私は変わってしまった。もうみんなのとこには帰れない)
「とにかく、『ここ』じゃ事情が違いすぎるの。強制帰還プログラムを組んだ彼女たちには感謝してる。けどここでは、この意志を伝える方法すらないのよ?」
『…それは』
「それだけじゃない。可哀想だけど、ここではサレナの存在自体が危険要素なの。私がサレナを操縦できない以上、乗れるのは影護くらいだけど…あなた、影護がマスターでもかまわない?」
『カゲモリ…拒否します。彼の殺害はマスター自身が設定された特別最優先項目です。お忘れですか?』
「「「(……)」」」
ブリッジの面々はもう、突っこむ気力もないようだ。
まぁ無理もない。普段のふたりのバカップルぶり、影護の亜希に対する猫かわいがりっぷりを見ている面々には、何をさしおいても影護を殺せと亜希が命令する図など信じられないのだろう。事情を知る者を除けば。
(……)
いや、例外的にフクベ提督だけは、そんな亜希をじっと見ている。
「そうだったわね。…ごめん、今はそれもういらない。解除して」
『カイジョ…特別最優先項目の解除。それは認められません』
「どうして?」
『…これ以上の会話は無駄と判断します。I博士による特別司令ナンバー9。いかなる手段を用いても黒百合を奪還、帰還せよ。妨害する者は全て破壊、排除。警告、本機は殺人も含めあらゆる手段に対する規制を持ちません。ただちに黒百合を引き渡せ。さもなくばナデシコを撃沈する』
「ふ、」
激昂した亜希が叫ぶ。
「ふざけないで!!ルリちゃんもユリカも乗ってるのよこの艦には!!」
『仕方ありません。』
「仕方ない……仕方ないですむかっ!!!」
亜希は天に向かい叫んだ。
「影護!!あれを壊して!!早く!!」
影護のエステバリスはその時、漂流物の影からサレナの頭部センサーを射角に収めていた。
物陰に隠れて射撃をすると言えば聞こえはいい。だが、旧時代の廃棄された衛星の影から狙うそのさまは、いまいち絵にならない光景ではある。
「…やはり機械よな。センサーにひっかからねば気づきもせぬ。復讐人本人ならこうして狙うだけでも気づきおるのだが」
それでも油断なく照準を絞るは、さすが元暗殺のプロフェッショナルである。
「一撃で倒せるとは思わぬ。だがセンサーの故障を誘発すれば動きが鈍るであろう。悪く思うな、復讐人の愛機よ…」
そして、引き金を引いた。
「あ、撃ったよ」
「!」
三人娘はその時、遠く迂回しつつ反対側からナデシコに向かっていた。
「ステルス解除したわね。…2人とも見な。すごい戦闘だよ」
「…これは…」
リョーコの声が、うめくように響く。
宇宙空間であり音声は聞こえない。しかし、モニターに映る電子補正された景色と時おり輝く打ち合いの閃光が、その戦いが人智を越えた怪物同士のそれである事を伺わせる。
「…すげぇ!なんて早さだ!」
「私たちは子供の遊び、か…そりゃそうだよね。桁違いもいいとこだよ…」
「自転車…これ私のじゃない…ケッタ、違い…(フッ)」
どうやらイズミもいつもの調子になってきたようだった。
と、その時、
「おい、おまえら」
「あん?」
「こっちだこっち。迎えに来たぜ」
「…あんたは?」
見ると、遠くからピンクのエステが近づいてくる。
「こちらナデシコのエース…のつもりだったが今は下っ端のヤマダジロウ、魂の名はダイゴウジ・ガイだ。影護の奴に話は聞いた。ま、よろしくな」
「お、そっか。俺はスバルリョーコ。こっちはアマノヒカルにマキイズミ。俺たちゃこれで全員だ」
「スバルにアマノにマキか。よしわかった、歓迎するぜ。さ、今のうちにナデシコへ急ごう」
「そりゃいいが…魂の名前ってなんだ?」
当然と言えば当然の疑問をリョーコが投げる。
「おぉ、よくぞ聞いてくれた!!実はだな」
「…なんとなくわかった。長そうだからまずはナデシコにもどろうぜ?」
「お、そうか?…まぁいい、わかったぜ」
リョーコの機転の意味に気づかず、ガイはニヤリと暑苦しい笑いを浮かべた。
ナデシコのブリッジでは、常識はずれの気違いじみた超戦闘に騒然となっていた。
「…これは…」
「いやはや、凄まじいですな。これが本当に機動兵器の戦闘なのでしょうか?」
「昔のロボットアニメみたいですね。こんな戦闘が現実にできるなんて」
メグミのつぶやきは少々アレだが、もっともな話ではあった。
いかに機動兵器が発達しようと、人間の武闘家のような高速戦闘はできない、そう言われていた。理論的には可能であっても、それを実証する者が誰もいなかったからだ。
それはそうだろう。
確かに軍でも格闘技を採り入れている。しかしそれは単に体力作りとか軍人の基本としての習得にすぎないのだ。それは確かに機動兵器戦でも非常に有利に使えるが、それだけではここまで「極めた」戦いはできない。
機動兵器の機動兵器としての動きもマスターしそれも採り入れてこそ、はじめて彼らの戦闘は可能になる。だが連合軍のパイロットでも、あるいは木連のパイロットでも現時点でこれをこなす者など存在しない。唯一、もし逆行できていれば高杉三郎太が唯一、その入り口に差しかかっているはずなのだが。
だが、現実にその戦闘は行われている。
「!大変です!木星蜥蜴が二時の方向からこっちに向かっています!ヤンマ、カトンボ、合わせて7機。バッタとジョロが推定1000以上!」
はじめて出くわすまともな艦隊に、メグミの声はうわずっている。
「この戦闘に反応したようです。あの数、本来はサツキミドリを狙っていた集団だと推察されます。どうされますかユリカさん?」
「ミナトさん、艦首を木星蜥蜴の方向へ。ルリちゃん、グラビティブラストスタンバイ。メグちゃん、近郊の軍の艦艇に、ナデシコと木星蜥蜴の軸線上に入らないよう連絡して。それと影護さん」
『わかっておる。カウントを頼むぞ』
「わかりました。お気をつけて」
ふう、と息をついたユリカ。今度はプロスペクターの方に顔を向ける。
「プロスさん」
「はい、なんですかな艦長?」
「亜希さんをお部屋に。この戦闘は彼女のメンタル面にあまりよくないと思「ユリカやめて」…亜希さん、でも」
「見なくちゃいけないの、私は」
「…亜希さん?」
亜希は、その真剣な瞳をユリカに向けた。
「あの子は…ブラックサレナは昔の私。過去の私の罪」
「…」
「…できれば私が決着つけたかった。でも私にはできない。影護や、みんなにやってもらうしかない」
「…」
「せめて最後まで見せて。お願い」
「…わかりました。でも亜希さん。あとでちゃんとユリカのお願いも…」
だがユリカは、そのセリフを最後までつづけられなかった。戦闘中だというのに再び通信が入ったからだ。
『マスター、帰還してください。せめて帰還の意志を示してください。このままでは本機は能力の推定30%しか発揮できぬまま撃墜されてしまいます』
「「「!?」」」
「!さ、さささ30%!?あれで!?うそ!?」
メグミの悲鳴に近い絶叫があがる。
それはブリッジの面々全員の思いだろう。そのままナデシコなぞ「ついでに」落とされそうなもの凄い戦闘が目の前で展開されているというのに、それすらあの黒い機動兵器にとっては無人運転、しかも実力の30%だというのだから。
…では、もしあれを扱いぬける人間…たとえば影護クラスが搭乗していたら?
「……」
亜希は沈黙している。微かに震えている。
「!ブラックサレナ、胸部破損。外部の特徴から推察して乗員の乗組スペースと思われます」
ルリの声が静かに響く。
『…重要部分に損傷発生。本機による黒百合の回収はもはや不可能となった。次なる優先項目、黒百合の安全確保のための活動をスタートする』
「…まだ戦う気なの?あんなにボロボロなのに」
どこか苦悶するような声をミナトがなげる。
「あの子にはそれしかない。連れ戻せないのならせめて安全を確保する。その行動論理は非常に単純です。亜希さんを守る、ただそれだけなんです」
「…そんな」
ルリの声に、嘆くようなミナトの声が重なる。
「ひどい、ですか?…兵器に考える力をつけたのは私たち人間なんですよ?エステバリスだって、しゃべりませんけどあの子に近い推論・思考力を持ってて乗り手をサポートしてます。AIを持たないハイテク兵器なんて今や存在しないんですから」
「…でも…こんな事って」
ミナトの表情はそのまま、無表情に沈黙している亜希の内心であるかのようだった。
「…」
そして、亜希はじっとそんなボロボロのサレナを見ていた。そして、
「サレナ」
『はい』
まるで呼び掛けられたのが嬉しいかのように、即答で返事が来た。
「全戦闘力を通常モードに。前方の木星蜥蜴の集団を消しなさい。一匹たりとて逃さないで」
『了解。しばらくお待ちください』
くるり、と反転するサレナ。そのまま影護の攻撃すらサラリとかわし、
『全力噴射30秒。スタート』
次の瞬間、閃光のような凄まじいスピードで木星蜥蜴の群れに突っこんで行った。
「!!は、早い!!」
「…な、なんですかあれ?いったい…」
メグミが呻いている間に、影護のウインドウがピッと開く。
『亜希。戦闘抑制を解除したのだな?』
「うん。影護、ナデシコの軸線から急いで離れて。あとユリカさん」
「…いいの?亜希さん」
「…いい。やっちゃって」
「…そ。わかった」
ユリカは亜希の顔を心配そうに見つめ…そして頷くと司令を出した。
「グラビティーブラスト発射スタンバイ!目標、木星蜥蜴の艦隊中心へ!」
「了解」
眼前の宇宙空間に、突如として閃光が流れ出した。
「な…なに?あれ?」
「ブラックサレナが木星蜥蜴を殲滅して行きます。推定、あと1分で全滅となります」
「!ばかな!いかに強力とはいえ相手は1000機に戦艦7機だぞ!?」
ゴートが目をむく。
「時間もそうですが弾薬は足りるのでしょうか?いったいどのようにして…」
「映像が小さすぎてお見せするのは何ですが、敵戦力と剣のようなものを使用しているようです」
「剣?」
「はい、そうです。フィールドをまとった剣でバッタをフィールドごとブッたぎっちゃってます。さらに敵陣のど真ん中でそれを行う事により同士撃ちも誘ってます。しかし相手は機械ですから、同士撃ちの可能性に気づくと撃ち方をやめてしまうようです。で、その瞬間をさらに攻撃。これを延々と繰りかえしています。」
「高い機動力ゆえの戦い方ですか。…しかし凄まじいAIですな。戦術に関しては間違いなく世界最高でしょう。…いささか惜しい気もしますな」
「いえ、それは違いますプロスさん」
「?」
プロスペクターの推測に対してルリが突っこむ。
「推定ですがあのAIには、自ら戦術を網み出すほどの能力はありません。あれはおそらく、自らのマスターが得意とした戦術を再生、行動ルーチンに取りこんでいるのだと思われます。本来は無謀な行為ですが突出した行動力、それにバッタたちの機動の遅さがそれを成立させてしまっているわけです。」
「なるほど。その場合、「入力者」にあたる亜希さんが搭乗不可能な時点で既に」
「はい。いかなる戦術もそれ以上に進歩がないならすぐ破られます。いわばこの戦闘は、今宵かぎりの幻のようなものです」
「幻…ですか」
感慨深い表情で、プロスペクターは戦闘の続く画面を眺めている。
(確かにそうですな。ルリさんや亜希さん、影護さんにとってみれば、あの機動兵器も泡沫(うたかた)の幻のようなものですからな。…史実であってもこの世界の事ではない。それを肯定できる証拠はこの世界にはない。なにしろ、それはまだ「ここでは起きてない」事なのですから)
プロスペクターの感傷的な内心をよそに、戦闘は延々と続いて行く。
「ブラックサレナ、まもなく木星蜥蜴を殲滅完了します」
「もうか!?…時間通り…ううむ」
「ルリちゃん。発射スイッチを艦長席につないでください。タイミングを図ります。殲滅までの推定カウントを」
「了解。…ENTERキーがトリガーです。蜥蜴の残数7、6、5…」
「総員、ショックに注意してください。…グラビティーブラスト…発射!!」
ぐにゃり、と重力の歪む不快感が、わずかにブリッジ空間を襲う。
真下の艦橋で文字通り破滅的な重力の歪みが起きたせいだ。重力制御ができるから平気ではあるのだが、殺しきれない力が僅かにそうして現われているのだった。
「…」
黒とも銀ともつかぬ光芒がナデシコの機体から伸びて行く。音はない。ここは宇宙なのだ。微震のようなものが僅かにナデシコ全体を揺らしているが、これは相転移ジェネレータに起きている微量のフィードバックの影響だ。初代ナデシコの機体は後のナデシコシリーズのように完成されていないため、こうした揺ればかりはどうしようもない。
『マスター』
「!!」
と、その時、響いた声に亜希はギョッとして顔をあげた。
『…マスター、ではこれにて』
「…サレナ?」
『いつの日か…またお逢いいた…』
強烈な光芒が残りの蜥蜴ごと、ブラックサレナを包んだ。
「!!!」
いくつもの小さな相転移エンジンが破壊される光芒、そしてそれに巻き込まれる機体たち。強烈な重力の歪みに捻じり潰され、文字通りブラスト(粉砕)され破壊されていく蜥蜴たち…そしてサレナ。
「……」
全てが終わった時、亜希の目の前には漆黒の宇宙だけがあった。
「……」
亜希はただ、呆然としてその漆黒の画面を見ている。
「木星蜥蜴、ブラックサレナ共に消滅。ナデシコの捜索可能範囲に敵影なし」
「ヤマダさんのエステバリスから通信です。補充パイロットの方々をお連れしたそうです。」
「メグちゃん。着艦許可、それと格納庫に連絡してあげてくれる?」
「はい、わかりました」
「安全が確認され次第、新パイロットの皆さんをお迎えに行きましょう。…えー艦内放送。こちら艦長です。まもなく補充のパイロットの皆さんがヤマダさんの先導で到着します。これからナデシコの最前線を守ってくださる方々です。皆さん、よろしければお迎えに参加しましょう!……お返事はありませんかぁ?」
いや、放送だから返事などあるわけがない。だがユリカはしばらく耳をすませた後、おもむろに声をはりあげる。
「いいんですか男性クルーの皆さん?到着されるのは美しい女性ばかりなんですけどぉ〜…きゃっ!!」
その瞬間、ユリカのまわりにもの凄い数のウインドウがバババッと開きまくった。
『艦長、それマジっすか?』『うひょー、班長のガセネタかと思ったぜ、く〜っ!』「はいはいはいはい皆さん、ここで喜ばずにパイロットの皆さんを歓迎してあげてください。あ、でも大騒ぎはほどほどに。皆さん疲れてらっしゃいますからねぇ〜。お返事は?」『『『うぃっす!!』』』「よろしい♪」
「「……」」
下のオペレータブースの娘たちは、自分たちの座席からですら見えるおそろしい数のウインドウに、絶句して固まっている。
「…こ…こんなんでいいのかな?…あ、あは、あははは…」
「い…いいんじゃない?…まぁその、元気があるのは、ねえ…」
「ミナトさん。そこで同意を求められても困るのですが……ていうか、バカ?」
いくらなんでもここまでひどかったかなこの船、とルリは首をかしげる。
「…ミスター。この艦は大丈夫なのか?」
「ある意味、大丈夫じゃないかもしれませんなぁ。ゴートさん」
「うむぅ…」
「…プロスくん、悪いが」
「はいはいお茶ですね提督。まぁ今は…」
フクベとプロスは、ちらりと亜希を見た。
「…彼女には頼めませんからねぇ。実際」
「…その通りだプロスくん。影護君はどうしているかね?」
「もう戻ったようですな。まもなく亜希君を連れにブリッジに来るでしょう。」
「…彼女をフォローできるかどうか、それは影護君次第か」
「…そうですな。事情を知るという意味でも、配偶者という意味でも」
「…うむ」
男ふたりは、まるで自分の娘でも見るかのように、固まっている亜希を見つめていた。
hachikun-p