史実

  むりやり全裸に剥かれた異性。そんなものを見れば男女問わず、性的に成熟した人間なら反応せずにはいられまい。
  だがそれは、本能のもたらすものであり本人に罪はない。その証拠に同性なら何も感じないのだから。それは異性だから。人間は人間という言葉に騙され自然界で自分たちだけが特別な存在と錯覚しがちだがもちろんそんなものは宗教的傲慢からくる勘違いにすぎない。人間も所詮、ヒト科に属する猿の一種にすぎない。ある種のサルは乱交をするし権力者が全体をいいように牛耳る傾向がある。例外は森林などで家族単位で暮らす一部の素朴な種族のみ。そして人間は典型的な前者。なんのことはない。下等で浅ましい無毛のサル、それが人間という生き物なのだ。
  閑話休題。
  そんなわけで、すっぽんぽんに剥かれた亜希がそこにいる。といっても変な意味ではない。そこは風呂だ。ユリカの発案の元三人でお風呂となった。艦長室の風呂はとても広かったしこの状況でルリは味方にならない。それどころか喜々として脱がしにかかるルリに、亜希は抵抗する事すらできなかった。
「はぁ…それにしても、亜希さんって綺麗な身体してるよね〜。」
「そうですね。とても」
「…そ、そんなに見ないでよぉ〜。」
  困り果てている亜希。赤面し縮こまっているさまがとても可愛く、そして淫靡である。
  その体型は、未来のルリに似ている。だが素肌に触れたルリたちは、それが見た目だけでない事をすぐに悟った。吸いつくような、粘りつくような肌はふたりをゾクリとさせた。それはその体質を計測で知っていたルリですらも驚かせるに充分なものだったのである。
  同性のはずなのにすがりつきたい。肌をすりあわせ、快楽をむさぼりたい。
  ユリカはさすがに聡明だった。いちはやくその危険に気づいたのだ。すぐに離れて湯船に浸かった。湯面の下で火照った身体を鎮めようと懸命になっているが顔には絶対出さない。
  彼女にとって、今はその時ではないから。
「亜希、さん♪」
「ちょ、ちょっとルリちゃ…!艦長、この子なんとかして、してってばちょっとぉっ!!」
  くす、とユリカは微笑む。ルリがこうなるのを予期していたようだ。困り果てた亜希が助けを求めるが、止める気はないようで面白そうに見ているだけだ。 
「いいじゃないですか亜希さん。ルリちゃんにそこまで好かれてるなんて、うらやましいな♪」
「で、でもでも…!ひゃ、ど、どこ触って!」
  ふうー、ふうー、と幼い獣そのものの熱い息を荒く吐きだすルリ。亜希の乳首を吸う。膝に割り込み股間をなであげる。亜希は逆らえない。ルリが強いためではない。亜希にはルリの腕力すらも押しのけられないのである。
  体型こそ未来のルリに近いが、亜希のそれはルリのそれとは根本的に違っていた。
  亜希は弱い。筋力もなく動作も鈍い。日常生活に支障ないのだから料理に必要な鍋なんかは持てるのだが、こういう状況になると本人が嫌がっても身体が勝手に屈伏してしまう。そんな状況ではたとえマシンチャイルドとはいえきっちり鍛え直してあるルリにかなうわけもない。
「あ、アキトさん、アキトさ…(むぐむぐ)」
「…」
  感極まったあまり昔の名を叫ぶルリの口を塞ぐ。だがもう遅いしそれも長くは続かない。
  プハッという声がする。ルリが亜希の手をふりきったのだ。この種の衝動というものに全く不慣れなルリは完全にエンジンがかかったようだ。本来あるべき冷静さなど影もなく、一匹の幼い獣になりはてている。ふー、ふー、という唸り声が浴室内に異様に響いている。腰が所在なげに揺れている。
「ルリちゃん、手伝ってあげる」
  ざば、と湯船からあがるユリカ。豊満な肉体を湯が流れ、滴り落ちるが気にもしない。亜希の背後にまわると後ろから身体を支え、同時に膝を掴んで無理やり開かせる。
「は、はなして!」
「ルリちゃん。シャンプー入れの裏見て。いいものがあるよ」
「…」
  ハァフゥと息をつきつつ、辛うじて残っているらしい思考でユリカの言葉を聞きつけたのかその通りにシャンプー入れをかきわけ…そしてそこで、その手がピタリと止まる。
「…これっ…」
「プレゼント。本当は医療器具なんだけど…ルリちゃんは使い方わかるよね?」
「制御はIFSですか。でもこんなものいったい」
「いいからいいから」
「…」
  それ以上の考えが及ばない。自分相手にそれが使われる予定だったなんて、今のルリに気づけという方が無理だろう。
  それは黒っぽい色をしていた。細いベルトのついた何か、それにブレスレットのセットだ。ルリは一瞬だけ躊躇したがふたりに背を向けたままそのベルトを腰につけた。うく、という可愛い声がする。続いてブレスレット。手首に付けるとそれは鈍く光る。ルリのIFSとリンクが疎通した証拠である。
「…どう?」
「すごい…ちゃんと感じます。これが男性、というものなんでしょうか?」
「さあね。私、女の子だもん。そればっかりはわかんないよ」
「ありがとうございます…ちょっと複雑な気分ですが」
  そう言うと、ルリはくるりと亜希たちの方を振り向いた。
「!!!」
  殺那、亜希の顔色が変わった。ひぃ、と悲鳴のような声もするが恐怖もあるのかちゃんとした声にならない。動く事も逃げる事もできないばかりか、ユリカに抑えられ大股開きというありさま。まさにカモネギ状態である。
  ルリの股間には、男性器を模したとはっきりわかる兇悪なものが付いていた。それはルリの手首のブレスレットに連動し、リアルにひく、ひく、と蠢く。本来の女性器はその裏側にあるがそちらにも、だいぶ細いそれが既にインサートされている。じわりと愛液がにじんでおり、どのような感覚がルリを襲っているのかは想像するまでもない。
「る、ルリちゃん、そんなものどうするの、ねえちょっと冗談でしょ!」
「…」
  夢でも見るかのようにぼう、とした顔でルリは笑う。知性を感じない痴女の笑みだ。その異様さに総毛立つ亜希。
「…」
  その亜希の顎に手をやり、くいっと持ち上げるルリ。あう、という声がする。
「…男女逆になっちゃいましたけど…あの頃から好きでした、アキトさん」
「…や、やめてルリちゃん。お願い…やめなさいってばっ!」
「嫌です。
  アキトさんそう言って1度でもやめてくれましたか?君の知ってるテンカワアキトはもういないって、そう言っていつも逃げちゃったんじゃないですか?
  私はもう、妹も娘も嫌です。北辰なんかにアキトさん取られるのも嫌です。言い訳して私やユリカさんのとこに帰ってこないアキトさんも嫌です。力づくでも繋ぎ止めます」
「ルリちゃん!!」
  ユリカの前で次々と禁忌の名を口にするルリに警告の叫びをあげる亜希。だが今さらであろう。油断した隙に薬でも盛られていたのか、もはや明らかにルリは異常だった。
「あのユリカさんも消えちゃいました。私はひとり残された。だから私はイネスさんに縋るしかなかった。アキトさんをおいかけたいって」
「!ちょ、それどういう…!!」
  しかし亜希はその質問を続ける事ができなかった。
  ルリの手が添えられるや否や、男のそれとは異質な硬いものがグイ、グイと押しこまれて来た。あぐ、という悲鳴があがる。その目の前でルリの顔が揺れる。口唇を奪おうと近づいてくる。淫魔の笑みが亜希の恐怖をさらにかきたて…。
「はむっ!!…む…むぐ…んんんんっ!!」
  幼さすら残したルリに犯され、口唇を割って舌まで入れられた。亜希はもがくがまるで意味がない。ただ、なすがままだった。
  
  
  
  場所はやがて、ベッドの上に移った。
「…」
  ふたりの痴態は続いている。そんな光景を見物しつつ、ユリカは真剣に考えていた。
  …変な意味ではない。ユリカは思索にふけると他の事は些事になってしまうのだ。だからこういうシチュも成立してしまうのである。
(そっか。亜希さんは男のひとだった…か。それも…テンカワアキトってやっぱ、あのアキトだよね?火星にテンカワアキトって名前のひとはアキトしかいないと思うし、それに私のだんなさまって言えばアキトしかいないもん。まちがいないよね、うん)
  ルリたちの洩らした情報のおかげで、ユリカはほとんど真相にたどりつきかけていた。
(考えてみれば、アキトっていっても亜希さんは未来のアキトなわけか…あれ?でも)
  ユリカはそこで、ふと考えた。
(それって矛盾しない?だってルリちゃんが「逆行」したのってほんの数年でしょ?戦争がどのくらい続くのか知らないけど、そう簡単には終わらないよね?向こうでも私は艦長やってたらしいし…じゃあ、いつアキトと再会したの?そりゃアキトは私が好きだけど、何年も逢ってないのにいきなりプロポーズする?まさかね。それはそれで嬉しい…きゃっ!…え、えへへ……で、でもぉ、それってアキトらしくないよ。アキトならやっぱり照れちゃってなかなか言えなかったりすると思う。んー…やっぱり計算合わないなぁ。)
  そのおそろしく冴えた思考は…アキトに関する部分だけ微妙にブッ飛んでいるとはいえ、かなり緻密に時間と考えうる経過をシミュレートしていく。天才の面目躍如だ。
  …そして最終的に、おそろしい結論にユリカはたどり着く。
(もしかしてアキト…ルリちゃんたちの史実だとナデシコに乗ったのかな?じゃあこの世界って……ルリちゃんたちの過去と違ってきてる…?)
  ぞくり、とユリカの背中を予感が走る。
(亜希さんと影護さんが乗り込んだのは、出航前。あ、そういえばあの時写真立てなくしたんだっけ。あのひと、大丈夫だって言ってたけど…!?)
  ユリカの顔色がそこで変わる。
(嘘!…う、ううんたぶんまちがいない。あぁユリカのバカバカバカ!あれアキトだよたぶん!そっか。史実ならあれがたぶん再会のきっかけだったんだ!…ど、どうしよう。火星で死んだって聞いてたアキトにやっと逢えたのに、なんでこんな…)
  ユリカの中でたくさんの思考が動く。士官学校時代だってこれほどの思考を働かせた事はないだろう。ユリカは考えに考え、いくつかの結論を出した。
(…そう。そうだね。アキトの事はお父さまに頼んでみよう。あの写真がアキトの手にあるんなら、もしかしたらまだきっかけはあるかもしれないもの。うん、それで行こうっと!…でも)
  ユリカは、目の前で痴態をくりひろげるふたりを見た。
「はぁ、はぁ、あ、アキト、さ、ん、」
「だめ、だ、あ、あ、あ、」
  ぷるぷる、とルリの身体が震える。実際に射精感があるわけではないが、射精感を伴って本当に絶頂に達してしまうのだ。ヌラヌラと愛液がルリの股間からこぼれる。
「はぁ、はぁ…はぁ」
  ためいきをつくとルリは、亜希に頬ずりをはじめた。まるで赤子である。
「…はぁ。…もう。影護になんて言い訳するのよバカ。」
  もう、と困ったように苦笑する亜希。さすが主婦。一瞬焦ったとはいえ、ルリのおいた程度では応えないらしい。
(…こういうのって間近に見た事なんてないけど…思ったより淡泊なんだね)
  別にそういうわけではない。「それ」が目的ではないからそんなに激しくならない、というだけだ。ルリにとってはこれは「儀式」。亜希を独占したい、そのために自分のものにしたい、ただそれだけの。
「……よしよし」
  だがそれも、完全に女性化してしまっている亜希にはあまり効かなかったようだ。
  おそらく、どう足掻いてもルリは亜希の「娘」でしかないだろうとユリカは思った。そういうココロの動きは人生経験の足りないユリカにはよくわからないが、そうであってもこれは見ればわかる。器が違いすぎる。どんな苦労をしてきたか知らないが、この「アキトの成れの果ての女性」は相当に深い。…そうユリカは感服の思いで見た。
  そして、そんな風に己れの未熟さを知らされるのは、ユリカは嫌いではなかった。
「…ごめんなさい、亜希さん」
「え?」
「今、亜希さん見てて…私、すっごく軽率なことしたと思ってる。本当にごめんなさい」
「?…う、うん。まぁいいけど」
  突然素直にあやまるユリカに驚いたのか、亜希は目を白黒させた。
「ひとつ聞いていいですか?」
「…うん。答えられる範囲ならね」
「じゃあひとつ。亜希さんって、アキトだよね?テンカワアキト。私の王子様の」
「……まぁ、あれだけルリちゃんが連呼してればわかっちゃうね。うん、そう」
  『王子様』のフレーズを否定されなかったのが嬉しかったのか、ユリカは寂しそうに…でも、にっこりと笑った。
「じゃあ、もうひとつ。亜希さんの望む未来ってなんですか?」
「…みんなが幸せに生きられる事。全ては無理でも、身近なひとだけでも助けられる事」
「…」
  よどみない答えに、ユリカは満足したようだった。
「亜希さん自身は?」
「え?」
「ルリちゃんの話だと、影護さんって元々は亜希さんの宿敵だったわけですよね?今の状況は辛くないですか?」
「…それは私にもわかんない。でもね」
「?」
「影護はいい奴だよ。ま、元暗殺者(アサシン)だし機動兵器に乗れば化け物だしあの通りの勝手な奴だけど。…でも、私は好き…かな」
「…まだよくわかんない?」
  女の子の笑みで問いかけるユリカ。苦笑する亜希。
「好きとか嫌いとかっていうのがよくわかんない。影護は私の最悪の時代を知ってる。…厳密には、あいつが私を突き落としたんだけどね。でも」
「でも?」
「そんな私を一番理解してたのがあいつ。…さっきルリちゃん言ったでしょ?君の知ってるテンカワアキトは死んだって」
「うん。あれって?」
「復讐に駆けずりまわってた頃、ルリちゃんと逢った時の私のセリフ。…我ながら気障ったらしいと思うけど、あれって本当に本心だったんだよ」
「…」
  いつのまにか眠ってしまったルリを抱えようとする。しかし力が足りないのか、うんうんと唸るだけで動かせない。
「…シーツかけてあげよ。今夜はここで寝かせるから」
「…そう」
  亜希は座り直すと、シーツをルリにかけた。
「…私はね、弱かったんだ」
「…」
「心の弱さを鎧で隠してた。なのにそれを認められなくて、殺戮の血の海の中、私はどんどん壊れていった。わかってたのに、どうしようもなかった」
「…」
「だから影護は私を壊した。こんな身体になっても足掻こうとする私を見ていられなかったんだと思う。…だから私たちの関係って複雑なんだよね。夫婦って形をとってるのだって、それが都合いいからだし。そもそもあいつは私のことなんて」
「……バカ」
「え?」
  あっけにとられた亜希の前でユリカは、はぁ、とためいきを漏らした。
「そんなの私だってわかるよ。ふたりは好きあってる。これだけはまちがいない」
「…」
「亜希さんはもう女の人なんだよ。ルリちゃんの、ましてや私のアキトじゃない。それだけはもう確実だね」
「……そう。でも」
  ちっちっちっ、とユリカは指をふる。
「ルリちゃんには、地球に大切なお友達がいるらしいよ。プロスさんのお話聞いちゃったんだけど…えっと…ラピスちゃん?」
「あぁ、ラピス。…ラピスが?」
「うん、そう。アキトがかわいがってた子なんでしょその子も。よくお話してるよ。戦争終わったら一緒に住もうって言ってるみたい」
「……そっか」
  たぶんその中には、亜希も勘定に入っているのだろう。亜希の意志とは無関係に。
「一緒に住む事はたぶんないよね?亜希さんたちとルリちゃんたち」
「…うん。たぶん」
「時々は逢ってあげてね。きっと寂しがると思うから」
「…できればね」
  おそらく、その日は来ないだろう。
  亜希と影護は戦後、できれば火星に住みたいと考えていた。史実通りに行けば木連プラント群には人は住まなくなる。彼らの大多数は火星や地球の一部に移民するからだ。その中に混じり、暮らそうと彼らはよく話し合っていたのだ。そうすれば影護は木連の人々の間で和めるし、亜希は火星生まれの火星人。地球は父祖の故郷であっても自分のふるさとではない。
  ボソンジャンプができない以上、好きに交流する事はもう不可能のはずだった。
「もう帰るの?シャワー使ってった方がよくない?影護さん怒るよきっと。」
「…もう怒ってるって。この部屋の前で」
「へ?」
「殺気がするのよね〜。まったくもう。相手が私だと思って気配も隠さないんだから」
「あ…あはは…」
  それじゃあね、と亜希は立ち上がった。全裸の上にバスローブをさっとまとい、ひょいひょいと出て行った。プロスペクターあたりが見たら激怒する姿だがもう深夜だし、まかり間違って見られても問題ない。なにせ影護が背後にいるのだ。そんな亜希を襲う馬鹿者はこの艦にはいない。
「んじゃ、おやす…わぁっ!!」
  ドアが開くと、目の前の廊下に影護が立っていた。
「お、おおおお脅かさないでよ。」
「驚いたのは我の方だ。それより戻っておれ。簡単に食事もこしらえておいた。」
「…ごめん」
「そなたは謝らんでよい。…その顔を見れば何があったか見当くらいはつく」
「…わかった。じゃ、先戻ってるね」
「うむ」
  亜希が退場し、代わりに着流し風寝間着姿という渋い風貌の影護が入ってきた。
  …ただ、白という色はまだいいとして、「列!激我印!!」と渋く書かれたその柄が全てをぶち壊している。もちろんこんな柄のものなんて地球では「普通には」売ってない。影護は歴史の知識からクリムゾンの息のかかった裏マーケットを知っており、そこからゲットしたものだ。
  国交がなくとも企業間取り引きがあればヒトとモノは流れる。ひとが流れればマーケットもできる。そういう図式だった。
「あの〜。一応ここは艦長室で、さらには女の子のお部屋なんですけどぉ〜…」
「そんなもの知らぬ。警備を呼ぶなら呼べ。その前に貴様らは死体となるであろうが」
  影護の眸が、爬虫類を思わせる危険きわまりないそれに変わる。ぐ、とユリカは蒼白になった。
「怖いか?別に小便漏らしてもかまわぬぞ。我は当然のことで笑ったりはせぬ。ましてや我は前の歴史で、そなたをテンカワアキトの面前でボロボロに犯した事すらあるのだからな」
「…」
  ニタァ、と笑う影護。ユリカはガタガタと震えている。
「…」
  だが、ユリカはグッとそれをこらえた。強い意志がその瞳にあった。
「…ほう」
「影護さん」
「ん?」
「亜希さんの事は謝ります。私を断罪するというのなら甘んじて受けます。けれど」
「…」
「亜希さんはそれを望まないと思います」
「……だろうな」
  ふむ、と影護は頷いた。
「だが、忘れるなミスマルユリカ。我がここにいるのはナデシコのためや、ましてや地球のためなどではないという事を」
「…。」
「そなたらが万が一亜希を傷付けるなら、我は容赦せぬぞ。そなたと妖精以外を皆殺しにし、そなたらは抵抗したり喋れぬよう処置をした後、どこぞの最下層のスラムにでも放りこんでやる。ふたり仲良くな」
「…わかりました。肝に命じます」
  影護はここで、裏マーケットという言葉を使わなかった。理由は簡単で、そっちに流せばプロスペクターに発見されてしまうからだった。
  別に金儲けをしたいのでなければ、そんなルートに流す必要はない。ルリやユリカほどの容姿なら飼いたがる者はいくらでもいるのだから。
「…ではな。」
  頷いて鷹揚と去ろうとした影護だったが、
「あ、待ってください」
「?…なんだ?」
「亜希さんですが…私のオブザーバーになって貰うわけにはいきませんか?」
「…」
  影護は、怒りをこめた目でユリカを見た。
「断る。たとえ亜希が承諾しようとそれだけは許さぬ」
「…では私も言います。影護さんおひとりでは、ナデシコは沈みますよ」
「!?」
  ぽかん、と影護はユリカの顔を見た。
「予定では地球脱出後、パイロットの補充をします。女性ばかりの三名。素質はありますが戦歴はさっぱりです。訓練は充分にさせてありますが」
「…それがどうした」
「影護さんは確かにお強いです。しかしなまじ優秀すぎますし実力差の大きい他の人達とバランスをとるのが不可能に近いと思います。指揮をとるのも。今まで影護さんはチームプレイをされた事があまりないのでしょう?」
「…」
  それは事実だった。
  影護が従えていた直属の部下は、彼がその目で選んだ生え抜きだった。ゼロから育てたわけではないし、だいたい女を部下にした事などない。
「…ただ1度や二度の出撃で、よくわかるな」
「恐れ入ります。
  とにかくそんなわけで、まさかの時に横から口出しする立場を亜希さんにとってもらいたいんです。直接の指揮は必要ありませんし、パイロット側のブースで影護さんとご一緒されてても一向にかまいません。要はパイロット間のつなぎ、であればいいわけですから」
「…」
「どうでしょうか?是非お願いしたいんですけれど」
「…待て」
  影護はじっと悩み…ふぅ、と息を吐いた。
「…そなた、本当に恐ろしい女だな。賢いのにも限度があるぞ」
「すみません。性分なもので」
「ふん、まぁいい。…普段はとにかく、ブリッジ、オペレータブースあるいはブリーフィングルーム、の何処かにいればいいわけだな?」
「はい、そういうわけです」
「…ウリバタケに言って、待機用の座席を我の隣に付けよ。…そうだな。あと、トレイとアームがあればよい」
「…トレイとアーム?」
「うむ。お茶汲み用だ」
「あ」
  今度は影護が笑う番だった。
  
  
  
  影護が去り、ユリカとルリだけが残された。
  ルリは眠っている。その顔を、ユリカはじっと眺めた。
(恐ろしい女、か)
  ユリカは、ためいきをついた。
(私って、嫌な女だよねやっぱり…ルリちゃんの気持ちを利用して情報引き出したり、影護さんたちを仲間にするため画策したり。ふぅ…何がいけなかったんだろう。私っていつからこんなになっちゃったのかな?)
  それは、ユリカの抱いていた不安だった。
  お天気能なし天才少女であるユリカ。しかしその天真爛漫なおバカさは彼女に不可欠のものでもあった。もし彼女がこれで常に冷静沈着だったとしたら、思いっきり角が立っただろう。少なくともナデシコの運営には問題が出たに違いない。
  実は、彼女のナデシコ運営に大いなるプラスとなっていたのもアキトだった。
  アキトがいる限り、ユリカは冷酷非情の艦長にはなりえない。ナデシコでの日々は彼女から何度となく笑顔を奪いそうになったが、そうさせずにいたのはアキトの存在が大きい。まさしくミスマルユリカにとり、アキトは王子様。運命の相手、だったのだ。
  だが今、そのアキトはいない。
(アキト…アキト。逢いたいな。あんな大人になったのに、おんなじ目してた。そのせいだねきっと。どこかで逢ったような気がしたの。あんなに顔も、声も変わっちゃってたのに。)
  地球に戻ったらなんとか時間を作り、逢いに行こう…そうユリカは思った。
  
  
  
  …だが、ユリカのその思いはもう遅かった。
  数日後、ルリが調べものをしていて、ナデシコ出航時の儀牲者一覧を目にする事になる。数名の死者や行方不明者の中に身元不明の死体があったのだが、その身元がやっと明かになった。DNA鑑定もできないほど無惨な消し墨となったその死体は蜥蜴の爆発に巻き込まれて粉砕もされており、それが一個人の肉体であると判明するのにさえ数日の時間を擁したのだ。
  果してそこには、「火星・ユートピアコロニー出身、テンカワアキト」と記されていた。
  ルリは結局、それを隠した。アキトの死がどれだけの意味を持っているか彼女は知っていたから。絶対知らせてはならなかった。知らせたら最後どうなるか、考えただけで身の毛がよだつ思いだった。
  だがそれがいずれ、さらなる歴史の歪みとして襲いかかる事だけは間違いない事だった。

hachikun-p
平成15年11月11日