「ミスマル・ユリカに知られたらしいぞ」
「!もう!?…あちゃあ。」
昼食のサラダにフォークを突っ込んだまま、青筋立てる亜希。こころなしか顔がヒクついているようだ。
「な、なんでよ…早すぎる〜(泣)」
「妖精とプロスペクターの会話を聞きつけたらしいな」
「…さっすがユリカって言うべきかな」
「?」
亜希は、トホホと情けない声をあげた。
「?なぜそれほどまでに困るのだ?仮にも「前の歴史」ではそなたの妻だった者ではないか。…あぁ、それで巻き込みたくなかったという事か?」
「いや、それもそうなんだけどね。…ユリカが絡むと色々やりにくくなるよ?」
「そうなのか?艦長としては天才だと聞いているぞ?秋山などは手放しで称賛しておったしな」
それはそうだろう。
ミスマル・ユリカの艦長としての能力は確かに天才だ。それも「稀代の」という枕言葉がつくほどに。直接交戦し全敗の憂き目を見た木連将校、秋山源八郎などは終戦直前までユリカが女と知らず、敵ながら天晴れな快男児とベタホメだったというから凄い。
だが、一つの才能に桁外れに飛び抜けた天才というのは、それ以外がメチャクチャというのが相場なのである。なぜかは言うまでもない。天才とはイコール規格外を意味するからだ。通常の物差しから完全に外れた異物。だからこそ専門分野では誰も叶わぬ化け物だがそれ以外では無能者以下。よくも悪くも、それがミスマル・ユリカという娘の本質である。
「確かに天才なんだけどね…天才すぎるの。思惑通りに動かそうなんて思ったら大火傷するよ間違いなく」
「なるほど。ヤマサキ型か。それは厄介だな」
「…影護。そのたとえ、すっごく嫌。やめて」
「ん?あぁわかった」
さすがに、かつての最愛の者をヤマサキ同様に扱われるのは我慢がならないらしい。
「ふう…それにしても随分早いね。まさか」
「いや、妖精が言うには、やはり逆行者ではないということだ。」
「そう?んーでも、それにしても早すぎるんじゃないかなぁ?いくらユリカでも」
「…ふむ」
いや、実はそうでもないのである。
過去の史実ではこの頃、ユリカはとっくにアキト症侯群患者になっていた。今回はそれがない。だから、あの「一日24時間乙女ぶりぶりアキトだゴー状態」にかけていた全エネルギーが、本来の艦長として、戦略家としての部分に全て使われてしまっているのである。
どんなにおバカに見えてもユリカはバカではない。それどころか、規格外ゆえに行動が予想できずしかも非常識かつ飛び抜けて有能。策略を巡らす影護たちには悪夢のような相手だった。
しばしの沈黙を破ったのは、影護だった。
「そういえば、逆行者のリストを妖精にもらった。現状でわかる限り、だそうだが」
「!あ、見せて見せて!」
「まぁよいが…見たら粉砕機にかけるのだぞ?」
「はいはい」
影護から受け取ったリスト…リストというには三名しかいないが…を、亜希はしげしげと眺めた。
「!ラピスも逆行してるの!?」
「黒き妖精のことか。うむ、既にネルガルで保護しておるらしい。一時はリンク切れで錯乱状態だったらしいが、今は落ち着いているそうだ」
「…そう。よかった」
重い胸のつかえがとれたかのように、亜希は胸をなでおろした。
「…あとは未確認だが飛んだと思われる者のリストだな。元優人部隊の高杉三郎太。火星の科学者にしてナデシコクルーだったイネス・フレサンジュ。以上だ」
「?どうしてこれだけなの?ルリちゃんが来てるってことは艦ごと飛んだりしたんじゃないの?」
ホシノルリ自身では飛べない。飛べるものが補佐をしなくてはならない。
「いや…どうやら、我らの乱数跳躍の後を追ったらしい。誘導役はイネス・フレサンジュだそうだ。時代等については正しかったようだが場所の座標がまちまちになってしまったのでは、という事らしい。黒き妖精については言うまでもなかろう。我らの時に一緒に飛んだのだろうな」
「そう…ユーチャリスやサレナ、夜天光の消息は?」
「不明。ただ我らがこちらに来た頃、天文台が水星付近でボース粒子を大量に観測しているのだそうだ」
「…なるほど。可能性はある、というわけね」
「そうだ。もっとも軌道を計算したところ、太陽に落ちて消えた可能性が高いそうだが。」
「…そっか。ちょっと残念」
「…」
影護は、腕組みをして亜希をじろじろ眺めた。
「…なに?」
「ユーチャリスが使えなくて残念、か?」
「!」
「言っておくが、あれを扱うならマシン・チャイルドが必要なのだろう?また黒き妖精にやらせるのか?そなた」
「!!そ、それは」
がー、というシュレッダーの音だけが、静かな室内に響いていた。
「だから、そなたは戦うなと言うておる」
「で、でも」
「デモもストもないわ。それでなくともミスマル・ユリカの動きなど予断ができなくなりつつあるのだ。また先日のように艦長代理なぞさせられたらかなわぬ。当分は動くなよ、亜希」
「え〜」
「え〜ではない!」
「痛っ!」
影護はため息をつくと、亜希の頭をゴツンと叩いた。
「…なるほど」
そんな光景を、オモイカネごしに見る女。そして少女。
「知りませんよ私は。プロスさんに何言われても」
「え〜どうして?私、ふたりには接触してないよ?ルリちゃんはうちの子だし」
「うちの子ってなんですかうちの子って」
「え〜違うの?「あっち」じゃ私とルリちゃんは家族だったんでしょ?」
「今だって家族です。でも貴女は私のユリカさんじゃありません」
「うんうんそうだね、ルリちゃん。家族はもっと仲良しでなくちゃ♪」
「…お願いだから人間の会話をしてくださいユリカさん。私の言った意味わかってますか?」
「もちろんわかってるよ、ルリちゃん。そうだ、お父さまに連絡とって今からルリちゃんの戸籍をミスマル家に移せないか相談してみよっと。ネルガル絡みだと時間かかるかもしれないし」
「わかってないじゃないですかっ!!もうっ!!」
ユリカの言ってる事は、確かにある間違いではなかった。
過去という名の未来、三人家族と言いながらホシノルリがテンカワルリにならなかったのはルリの想いとかそういう理由ではない。ネルガルがあの手この手でルリから手を切るのを拒んだからなのだ。そうして時間稼ぎが続くうちにユリカたちが行方不明。それどころではなくなってしまったのである。
もちろん、このユリカはそれを知らない。けれど、ルリ自身に生まれと今の所属を聞いた途端にユリカの脳裏には、いかにルリを自分の義妹に仕立てるか…いやもとい、私企業の支配から解放するかをすばやく計算したようだった。
こんなところにも、「アキトがいないための歴史的相違」は波及していた…いやまぁいいのだが。ちなみに言うまでもないがルリが言及したのはもちろんこの事ではない。今のふたりに近づく事の危険性を散々説きユリカもそれなりに納得してくれた。にも関わらず、次の瞬間にはふたりの私室を見せてと笑って頼んできたユリカに対するものだった。
「…あのねルリちゃん。危険なのはわかった。だからこそ、なんだよ」
「え?」
「こっちから近づくのが危険だからって一切関わらないのは下の下だと思うよ。むしろふたりに注目して、ふたりの方から私たちに関わって来てくれるよう仕向けるにはどうするか、それを考えるべきだと思うの」
「!あ」
そうじゃないの?とユリカは笑った。
「現時点のルリちゃんの話を総合すると、亜希さんはあっちの私やルリちゃんと家族同然の関係だったんだよね?」
「…はい」
ルリはちょっと目を伏せた。別人とはいえ、ユリカにアキトを他人のように言われるのが辛かったからだ。
「それがどうして今の状況になっちゃってるのか…まぁ今は言わなくていい。でもこれは大切なことだから、いつか決心ついたら教えてねルリちゃん。」
「…すみません。わがまま言ってしまって」
「あはは、かまわないよ別に。可愛い妹分のお願いだもん!」
「…妹分、ですか。」
「うん、そう…嫌?」
「嫌じゃないです。すみません、そうじゃなくて…」
「なくて?」
「…」
ずい、と無邪気に顔を乗りだしてくるユリカに、無意識に後ずさるルリ。
「…なに?」
「…いやその…ちょっと恥ずかしいというかその…」
「え?そう?じゃあやっぱり娘?」
「…それはもっと恥ずかしいですが…」
「…そうかなぁ?可愛いと思うけどなぁ?」
「…あは、あはは…」
娘、と言われないのもルリは寂しいと感じた。アキトがいない以上これは仕方ないのだが。
でもそれに言及したら最後、こちらのテンカワ・アキトまで巻き込んでしまう可能性があった。それが正しいのかどうかルリにはわからない。史実を考えれば出遅れたとしても関わらせるべきなのかもしれないが、本当にそれでいいのだろうか?
(…妹は違和感、娘は恥ずかしい…なるほど、あっちの私は「姉」じゃなくて「母親」だったってわけか。)
むう、と内心唸るユリカ。
(という事は…そこには当然私の「だんなさま」がいたわけよねやっぱ?…う〜ん誰だろ。立場としては亜希さんの可能性が高いけど、女の人だし…影護さんは「タイプじゃない」から論外っていうのとは別にしてもルリちゃんの態度からいってありえないよね。……ま、いっか。そのうちヒントでもあるでしょ♪)
ユリカはフッとためいきをつくと、にっこり笑った。
「あ、なんですかユリカさんその笑い。また何か考えてますね?教えてください」
「えへへへ、うん、考えてるよ〜」
「ユリカさんっ!」
「大丈夫大丈夫。何かする時はルリちゃん誘うから。だいたい、ふたりについて一番詳しいのはルリちゃんだよ?誘わないわけないでしょ?」
「…何かする時じゃなく、何か企む時にも誘ってください。今回の件でよくわかりましたが、やはり状況判断力や作戦指揮力の面で言えば、当のユリカさん自身を先生として育った私に言うべき事はなさそうです。ですが情報収集等でお役に立てると思いますから」
「もちろん、頼りにしてるからねルリちゃん」
「はい」
とうとう巻き込んでしまった事の後悔か、複雑な笑みをルリは浮かべた。
ルリに限らないが基本的に逆行者は、そうでない人間と一線をひく。自分の知識が禁忌に属するという思いがあるからだろう。
だが、それはある意味彼らの目的から遠ざかる行為でしかない。影護たちのように「身近のひとだけでも守る」ならともかく、ルリが欲するように未来自体を動かしたいのなら。
たとえ影護と同等に戦えようと戦争の行く方に関与はできない。電子の妖精であっても電子戦用の設備なくしてはシステム掌握など不可能だろう。ウリバタケセイヤ級のエンジニアリング技術があってもそれなりの精密工具や資材がなければ何も作れない。そして、あったとしてもそれを維持し複雑な機動兵器や戦艦までひとりで設計し作り上げるなんてどう考えても無理だ。それだけのものを組むにはそれなりの場所と設備がいる。運搬者も必要なら部品加工業者もいる。それらをたったひとりで手配できるか?できたら化け物だろうそいつは。
では、歴史を変えるのに必要なものは…そう、仲間を集める事だ。
とりあえず、ナデシコには素晴しい人材が揃っている。性格には確かに問題ありだがそれゆえに「納得してくれれば」絶大な力を発揮する。だから彼らは巻き込まなくてはならない。しかも断固たる態度をもって。時には冷酷な傍観者になってでも。
それらがきちんと理解できない事も含めて、ルリも、そして亜希もまだまだ経験不足と言える。そしてユリカはルリ以上に経験不足だが、天才ゆえの「感覚」でそれを最初から理解できた。
「…でもねルリちゃん」
「え?…!」
だからユリカは、ふにゅ、とルリを抱きしめた。
「…あの…ゆ、ユリカさん?」
「姉妹でも親子でもいいけど、せっかくだからもっと仲良ししようルリちゃん」
「!」
「私を見るたびに辛そうな顔してたから気になってたんだけど…こんな事情があったなんてね。もっと早く打ち明けてくれればよかったのに。」
「…それは無理ですよ。だいいち、信じてくれるかどうかもわからなかったんですから。ていうか普通信じないでしょう?」
ある日見知らぬ少女がきて、私は未来から来たあなたの義娘ですと言う。…まともな人間なら救急車を呼ぶか逃げるだろう。間違いない。
「…あ、それもそうだね。きっと信じなかったと思う。うん」
「…あっけらかんと言わないでください。じゃあ私はどうすればよかったんですか。」
「…それもそっか。…あははは……ごめん」
「ごめんじゃないですよ!もう。」
ああもうこのひとは、とルリは苦笑いした。
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