違う未来を

hachikun

  これで終わりだと思った。   壊れた艦の跳躍に巻き込まれ何処へともなく飛ばされた時、彼は終わりだと思った。闇にいきる人生の果てとしては少々綺麗すぎる幕切れだが、まぁそれもそれだろう、そう彼は思っていた。
  …だが、終わりではなかったのだ。
  
  気がついた時、男は地球らしき野原に倒れていた。
  夜の闇があたりを包んでいた。町までは結構距離があるらしい。虫の声はするが静かだ。民家の気配ひとつない。古びた公園の敷地のようだが、ここで遊び寛ぐべき住人はもういないのだろう。再開発中なのか。
「…これは…別人の身体、か?…まぁよい。あのような跳躍で生き延びただけでも僥倖。さて、現在位置を調べねばなら…む?」
  少し離れた場所に、自分と同じように見知らぬ少女が倒れているのに気づく。男は立ち上がると、静かに少女に近づいていった。
「…妖精?…いや違う。よく似ておるがマシン・チャイルドとやらではないな。…仕方ない。娘、起きるのだ、娘」
  チェック柄の古風なスカートに白いセーター。黒い長髪。年齢がいまいちよくわからないが若い。よくて十八、もしかするともっともっと若いかもしれない。どちらかというと細すぎるほどに華奢な身体。軍とかにはあまり居そうにないタイプの娘だった。
「う……う〜ん……?誰?」
「我にもわからぬ。それより娘、このような場所で無防備に若い娘が眠るものではない。起きぬか」
「…?」
  少女はむっくり起き上がると、ふるふる、と頭をふった。
「…なんだ?見える…見えるぞ?どういうわけだ?」
「??」
「…触れる。感じる。…なぜ?俺の五感はもう効かないはずなのに」
「!まさかそなた、テンカワアキトか!?」
「…あぁそうだ。おまえは…?軍人?警察?…いや違うな。俺を捕獲しに来たんじゃないのか?」
「惚けておるのか。…まぁ無理もない。流石の我も俄には理解し難いものがある」
「?…ま、まさかおまえ!?」
「うむ…我は北辰よ。
  テンカワ、どうやら我らは別人に成り果てたようだぞ」
「…なんだと!?」
  少女は唖然として、男の顔を見た。
  
  
  とりあえず一時休戦となり、お互いに情報を集める事になった。
「2193年か。別人になったばかりか過去に飛ぶとはな。そっちはどうだ北辰」
「…思わしくないな。跳躍もできず本人の証明もできぬ。これでは木連に戻る事など到底叶わぬわ」
  戻ったとしても間蝶と間違われ捕らわれるのみであろう、と自嘲げに男はつぶやいた。
「…そうか。」
「まぁどのみち戻るつもりもないが。蜥蜴戦争が終わるまで鍛錬でもして待つとしよう。木連人でなくなったとはいえ心は木連にある。どちらにも加担はできぬゆえ、な」
「……」
「なんだ?娘。不満そうだな」
「娘むすめ言うな。俺は男だ」
「…ほう。その身体でか?」
「…」
  じろり、と裏世界の人間の目で少女を見る、男。
「言っておくがそなた、その身体で以前のように強くなるなど笑止千万だぞ。格闘はおろか機動兵器のGにすら耐えられぬだろう。見ればわかる」
「…」
「あきらめるのだ。未来を変えたい、などと考えるな。戦闘もできず、マシンチャイルドのような特技もなく、機械設計や整備をする頭もない。…無理だ」
「…」
「…執念だけは認めるがな。忘れたか復讐人。力なくしては何もできぬのだ。」
「…」
  男は、哀れみの視線を少女に投げた。
「…」
「…」
「…」
「…なら」
「ん?」
  激情の果てか、少女の身体はふるえていた。
「…それなら、手を貸せ」
「…ほう?」
「昔のように強くなれなくてもいい。せめて戦闘に耐えられるようになればいい。何も戦争の流れを変えようっていうんじゃない。そもそもそんな事は無理だ。」
「ふむ。そうだな」
「だがせめて、身近な人間を守りたい。それくらいなら今の俺だって」
「…」
「鍛える。手伝ってくれ」
「ことわる」
「…」
  ひゅう、と、狭いアパートに風が吹いた。
「我にもそなたの考えはわかる。また木連の影であった過去ならいざ知らず、今ならそなたに手を貸すのも悪い話ではない。…だが利点もないのだ」
「…」
「考えてもみよ。確かに火星の後継者の乱を止めるのは我にも利点がある。あれは性急すぎたし無法すぎもした。あれで勝ったとしても木連人民に幸多かれとはとても思えぬ。その意味ではそなたと我の利害は一致するであろうな」
「…」
「だがな、テンカワよ。それでも我の心は木連にあるのだ。そなたに手を貸せば、それだけ木連の民が死す事になる。それだけは我にもできかねる。妻も子もなく木連のためにのみ生きた我にとり、このようになり果てても木連は心のふるさとなのだ。そなたにもそれはわかろうが?どのように修羅に堕ちようと、故郷である火星はそなたにも特別な存在であろうが?」
「…」
「…そういうわけなのだ…すまぬな」
「…そうか。」
  自らも故郷に並々ならぬ思いを持つ少女である。そう言われては何も言い返せなかった。
「…」
  そんな少女を、男はじっと見つめていた。
「…ふむ…そなた、それほどまでに撫子の皆を救いたいのか?」
「…」
「撫子の民はそなたの故郷、火星の者達ではないぞ?それでもか?」
「…」
「…そう、か。…そうだな。そこまで思いつめておるなら…手を貸さぬでもないが」
「!!」
  少女はハッとした顔で、男の顔を見た。
「…だが、そなたには戦わせぬぞ」
「…え?」
「え、ではない。我は腐っても木連男児だ。若き娘を機動兵器に載せるなど言語同断」
「し、しかしそれは…!?」
  すっ…と、少女の顔に男の手が伸びた。
「え?…え?」
「戦うな、と云ってもそなたは戦おうとするのだろうな。だがそうはさせん」
「!?ちょ、ま、待て!何考えてんだおま…!?」
  どさり、と音がした。少女が押し倒された音だ。
  少女はもがいた。しかし、男の力は少女の何倍もあった。たちまちに胸がはだけられ、下半身に手が入れられる。押し殺した悲鳴に、本人の意志に反した別の色が混じる。
「何を?決まっておろう。そなたをわが女として教育し直してやるのだ」
「!!!」
  ひ、という声がした。
「我に力を貸せというのは、木連を捨てると同義。ならば、そなたが木連の代わりになれ。」
「な、な…!!」
「我は金や権力では従わぬ。しかし妻子となれば話は別」
「ば、ばかっ!変態かおまえは!俺は…っ!!」
「女と見られたくなければ、もう少し態度に注意すべきだったな。大股開きで座り込むわ裸で風呂から出てくるわ、いいかげんこっちも我慢の限界に来ておったところだ」
  くちゃ、くちゃ、と水音がする。やめろ、やめてと哀願する少女の声も、男には誘い文句にしか聞こえない。ぐい、と股を拡げると自らのものを掴み出す。
「…そなたの純潔に誓おう。かつて復讐人であった娘よ。
  我はそなたを奪う。かわりに、そなたは我が亡くした祖国となれ。
  木連とその民の為に振るったこの外道の力、これよりそなたの為に」
「!!!」
  そう宣言すると、腰をグイと進めた。押し殺した悲鳴があがった。
  
  
  
  数年後。
  奇矯な型をした新型の戦艦が、地下のドックで出発を待っていた。
  既に大半のクルーは乗り込んでいたが、未だエンジンは始動していない。艦長が未だ到着していないためだ。エンジン音はないが先程、格納庫の方で盛大な転倒音がした。まだ出発もしていないのに機動兵器を転倒させたスットコドッコイがいるらしい。
  ズズーン、ズズーンという音。地上で木星蜥蜴と軍が戦闘しているらしい。
「囮が必要なのだろう?我が出よう」
「し、しかし影護(かげもり)さん。重力波ビームがまだ使えませんからバッテリーの保つ限りとなりますが?」
「あの程度のバッタやジョロならエネルギーをバカ食いする武器など無用。なんとかして見せよう。時間は稼いでおく。そっちはその間に艦長なり会長なり呼びつけ、とっととナデシコを動かすがいい」
「大丈夫なのですか?随分自信ありげですが」
「エステバリスではないが、機動兵器の経験はそれなりにある。こいつは小回りがきくし動きも早い。陽動にはもってこいだろう」
「…なるほど。わかりました、おまかせいたします」
「うむ」
  プロスペクターはじっと男を見ていたが…何か思うところあったのだろう。にこりと微笑んだ。
  男はそれにニヤリと笑いかえすと、プロスペクターの横にいる女に声をかけた。
「亜希(あき)よ」
「はい」
「出撃する。艦長がくるまでフォローを頼むぞ」
「ええ。…貴方もバッタなんかに殺されないようにね。貴方を殺すのは私なのだから」
「ふ、まだ言うか。…まぁよい。行ってくる」
「(なんかドラマみたいですね〜)」
「(わけありって感じね。不謹慎だけどちょっと面白そう♪)」
「(…アキ…アキト…まさか、ですね。それにあの男性は何者でしょう?口調がとても気になりますが…あの北辰というひとにしては若すぎますし)」
  黒髪の美女、亜希…それはかつてのあの少女、テンカワアキトのなれの果てだった。
  ナデシコのクルーは素質あれど練度もなく戦闘経験もなきに等しい。権限上は提督の領分だが機動兵器母艦の指揮経験はない。これについてはつい先程、プロスペクターとの契約のおりに確認ずみである。
「ほほう。亜希さんはブリッジ勤務の経験がおありで?」
  先程の会話が「掘り出す者」のアンテナにひっかかったらしい。
「いえ、勤務というほどのものではありません。彼はあの通りの男なので、抜けた穴埋めという事です。」
「それはそれは…やはりそれは火星で?しかし亜希さんの履歴にそのようなものは」
「火星会戦の時、花形の連合軍と違って火星守備隊は正式に認可のない烏合の衆でしたから。…なんでもやりました。戦艦の指揮、操縦、通信。操縦については航宙士免許がありませんので表向きには免許保持者がつき、仮免許状態ですが」
「!ほう」
  反応したのはプロスペクターでなくその傍らで怪訝そうに見ていたゴート・ホーリだ。
  亜希が言ったのはサレナが壊れ、ラピスを電子戦に集中させつつユーチャリスを手動で飛ばせた時のことだ。当時北辰は敵だったわけだがまあ、全くの嘘というわけでもないだろう。
  ゴートが反応したのは「航宙士すらいないような状態で生き残った」と受け取ったからだ。普通ならその状況になれば艦は沈む。そこで無資格者であれ「操縦し」逃げ伸びたというのはすごい事だ。無資格というだけで必要な腕は持っているのか、それともよほどの強運の持ち主か。
「…」
  して、それをじっと見ていたプロスペクターは何を考えたのか、無謀の極みなことを言いだす。
「なるほど。わかりました。では影護亜希さん、艦長と副長が来るまでの臨時ですが指揮をしていただけますか?」
「「「!?」」」
  ブリッジ全体に、驚愕の空気が拡がる。…それはそうだろう。ついさっき飛び入りで来ただけの正体不明の人材に、戦艦の指揮をせよというのだ。狂ってるとしか思えない。ていうか無理だ。この艦の仕様すら彼女は知らないはずなのだから。
「…わかりました」
「おぉそうですか。ではよろしく」
「「「!!」」」
  普通引き受けるかいそこで!と、キーキーわめいていたキノコ副提督までもが内心突っ込む。
  だが亜希は前に一歩出る。やる気のようだ。
「では一時的に指揮権をいただきます。よろしくお願いします。
  オペレータさん」
「はい」
「現状で可能な限りの戦況分析を。バッタの分布図をあのひとに送っていただけますか?あと発進ゲートに注水準備。このまま出撃は無理です。おそらく海中に出る事になります」
「わかりました」
「航宙士さん」
「はい。私はミナトでいいわよ」
「ではミナトさん。艦長が到着するまでの間に、エンジン始動から発進までのシーケンスを吟味してください。切り詰められる航程があるはずです。補助エンジンの始動をひとつ減らすとか。とにかく時間を稼ぐ手を」
「わかったわ。」
「通信士さん」
「メグミで結構です」
「ではメグミさん。地上の軍に連絡を。援軍は厳しいでしょうから援助要請を。機動兵器用の武器やバッテリーが上にはあるはずです。上で戦っている軍の映像の中に試作型らしいロボットの映像がありましたから。うまくすれば相当時間が稼げます」
「わかりました」
「あと提督と副提督にお願いなのですが」
「!な、なによ」
  老人は沈黙している。キノコ頭は、いきなり流暢に指揮をはじめた亜希にとまどっているようだ。
「後でなのですが…バッタ来襲のタイミングがあまりにも良すぎます。偶然とは思えません。必要なら技術陣やプロスペクターさんたちを交え、アドバイザーのお立場から分析と検討をお願いいたします」
「な、なんの分析よそれは!!」
「…よかろう。しばし時間を要するかもしれないが」
「はい。お願いします」
「うむ」
  老人が返事をする。亜希は微笑み、再び真顔に戻った。
「ナデシコ発進準備。マスターキーがなければ動かない部分以外の全ての兵装、および機材をフル稼働にしてください」
「亜希さん。それは無人兵器に探知される可能性が」
「そんなのとっくに探知されてます。モニターをよく見てください。あのひとが陽動を開始したので動きが変わってますが、格納庫入り口を探すように陣形を展開していました。だったら今さら隠すなど無意味です。ところで艦長はどうしたのですか?まだ来ないのですか?」
「えー、今格納庫から入ったようです。こちらに向かっていますな」
「ではただちに入り口を閉鎖。ドックに注水をはじめてください。艦長が到着次第すぐにマスターキーをセット、ただちにエンジン始動。同時に発進できるよう、可能なかぎりの最高速で注水を」
「了解」
  亜希は気づいていない。
  予定より早いバッタの襲撃、そして艦長到着と同時のドック閉鎖が何を意味するのか。
  史実ではこの後、アキトがユリカを追ってくるはずなのだ。しかしアキトは間に合わず、この歴史はアキトとユリカの再会なく始まってしまった事になる。アキトが今後、ナデシコに塔乗する可能性はほとんどない。彼の手に残ったのはユリカの写真だけ。写真を頼りにミスマル邸にたどりつく可能性くらいはあるかもしれないがそこにユリカはいない。そしてアキトの性格からしても、ナデシコまで乗り込んでくる事はないだろう。つまりこの時点で、あの史実をなぞる可能性は永遠に潰えてしまったのだ。
  このズレは、後々の歴史の全てを大きく変える。
  アキトを欠き、代わりに乗ったのはよりによって影護(かげもり)、つまりは北辰の成れの果て。彼はもう木連人でもなんでもないが、地球にもナデシコにも特別の思い入れはない。やがてはナデシコにある程度染まるだろうがアキトたちのようにはなるまい。現時点で彼は、妻が…亜希が望むからここにいるにすぎない。
(…影護はどうして戦ってくれるんだろう?私の正体を知っているのに)
  女になっても自覚のない亜希は、彼がどうして自分の願いをきき戦うのか、いまいちよくわからないようだった。自ら外道と称するほどの者。力づくで自分を女に「調教」してしまったような男がなぜ、強制力もなにもない約束に従ってナデシコに乗り込み、戦ってくれるのか?
  実のところ、北辰時代より彼はアキトがお気に入りだったのだ。
  アキトにとっては憎い敵だったろうが彼にとってアキトは、やんちゃなドラ息子以外の何者でもなかった。考えてほしい。暗殺者とあろう者が、未熟とはいえ自らを殺そうとする者を何度も逃すだろうか?つまり簡単に殺さず、叩きのめしては問題点を教え、這い上がらせてはまた突き落とす事を繰りかえしたのだ。それはつまり鍛えているのと同義。もし敵でなかったら、北辰はアキトを息子のように可愛がっていたのかもしれない。
  だからこそ、影護は戦う。木連とのつながりを亡くし一介の地球人となってしまった今、彼が守るべくは彼の言ったように自分の妻子くらいしかいない。そして彼はもともと独身だった。妻としたのは後にも先にも、亜希ただひとりなのだ。華奢でか弱く、優しい女。それなのに闇を理解し、おのれの存在を理解できる者。亜希は知らなかったがそれはつまり、影護が北辰時代から追い求めてきた「理想の連れ合い」そのものだった。
  
  
  
  運命の輪が、ついに回り始めようとしていた。

(おわり)

hachikun-p
平成15年11月5日