「撫子、それに『ゆめみづき』の二艦を発見しました」
薄暗い船内に、年頃くらいの少女の声が淡々と響いている。
「よし、ただちに背後より追撃せよ。」
その少女の声に対し、若い男の声が高らかに響く。しかし、
「危険です」
「危険は承知の上。しかし本船の能力はあの撫子を上まわるはず」
しかし、少女はやはり首をふる。
「未知数だらけ、訓練はおざなり。今攻めるのはまさに下の下です。まずは調査を優先しなくてはなりません」
「…命令だぞこれは。いくらおまえでも」
怒りを露わにする男に、少女は涼しい顔のままだ。
「司令官。貴方が『火星の後継者』設立のために賛同者を集めたのは何のためです?『人間』の能力を重要視しているためでしょう?なのになぜ、同じ論法を敵にも摘要しないのですか?」
「!」
う、という顔をする男に、少女は微笑む。
「貴方は優れた判断力と人望をお持ちです。司令官。
しかし唯一の問題点は、その熱しやすさ。ですから私がここにいるのです。私には司令官のような判断力は望めませんが、いざという時の制動くらいにはなると思いますので」
「…ふむ。そうだったな。
わかった。このまま撫子の索敵範囲外から監視を続けろ」
「了解です。司令官」
少女は、長いツインテールの髪を揺らすとオペレータコンソールに戻った。
周囲は、そうした少女と男のやりとりにも慣れているのだろう。要員がわずか数名という木連戦艦としては異例の少なさもあり、ブリッジにはたちまち静けさが戻った。
「…撫子よ…今に見ていろ。この『しろがねづき』と新型機動兵器でいつかそなたらを」
男の顔が、端整なそれの端に憎しみを僅かにのぞかせた。
防諜対策を施したその部屋で、密談はおこなわれていた。
フクベ提督の私室なのだが、その和風な雰囲気はそこにいる彼らにとてもよく似合っている。フクベ本人はというと傍聴人として参加してはいるが、とりあえず先程から何を発言するでもなく、単にお茶をすすっているだけだ。
話をしているのは、主に秋山と影護であった。
「それで…木連の側は問題ないのだな?」
「はい、現状では。ただ」
「ん?」
秋山の渋るような口調に、影護は眉をしかめる。
「…何か、動いたか?」
「…はい。南雲とその一派が行く方を眩ましております」
「南雲か…やはり『火星の後継者の乱』は避けられぬかな」
「わかりません。しかし『史実』と違い草壁閣下が指揮をしておりませぬゆえ、状況がいまいち」
「…こちらの我は、何をしておるのだ?」
「南雲一派の追跡です。…しかし、彼らの所在が全くの不明でして…」
「ほう。それは凄いな。戦艦でも奪って逃げたか?木連内部にいる限り、我ならなんとでもするであろうに」
「…流石ですな。その通り。彼らは極秘の新造戦艦を奪って逃げたようで」
「極秘の?…妙だな。この時期の再新鋭戦艦と言えば」
「……やはりそうですか」
「?」
「…この写真を見てください。北辰どのの部下の撮影です」
「…!?なんだと!?」
影護の顔が、驚きに染まった。
「サブロウタさん。そんなに気落ちしないでください。チャンスはありますよ」
「…くそぉ」
ブリッジでうなだれたサブロウタ(未来バージョン)。隣のルリは特になぐさめるでもなく、お茶を薦めただけで後はまたオペレータ業務に戻っている。
「なんで…あいつなんかに…」
「そりゃ、肝心の王子様が居ませんからね。サブロウタさんが悪いんですよ?もっと早くナデシコに来ればよかったんですから」
「…うー」
サブロウタが、リョーコにけんもほろろにされるのは別に珍しい事ではない。未来にあってサブロウタはよくリョーコを怒らせたものだ。しかしそれは全て彼の作戦でもあった。
ジゴロでない普通のひとなら首をかしげるだろう。怒らせるという行為がなんでアプローチになるのか、と。
だが、怒るという事はすなわち冷静さを欠き地が剥きだしになるという事でもある。ガードの硬い女の子を落とすにはまずガードを崩さねばならないわけで、怒らせるのもひとつの方法だったりするのだ。
サブロウタのようなタイプの人間はこういうガードの硬い異性を通常は避ける。しかしサブロウタの場合は違った。なぜか?端的に言えばそれは彼が本気だからである。硬い方が落としがいがあるというのも事実かもしれないが、それも程度によるだろう。やっぱり根っこが木連人であるサブロウタは、女の子には珍しい完全熱血型のリョーコは逆にかわいらしく見えた。難攻不落なタイプと見てさらに「燃え」た。アキトを忘れられないのを見てますます「萌え」た。堅物のうえに一途ときた。この時点でもう、サブロウタの中でリョーコの立場はお姫様に等しい存在になってしまったのである。
しかし…今回のリョーコの相手は、かつてのアキトではなく、なんとあの北辰の未来。頭を抱えずしてなんとしよう。
「…ルリルリ。彼といつ知り合ったの?」
ミナトが当然の疑問をなげてくる。ルリはそれに答える。
「話せば長くなりますが…簡単に言えば、サブロウタさんの意中の女性を私がよく知ってる。そういう関係ですかね」
「へえ。そうなんだ。で、そのひとって誰なの?ナデシコにいるの?」
「…」
見れば、反対側でメグミも『耳ダンボ状態』である。見上げるとユリカの髪が艦長席のブースからはみ出している。やはりこの種の話題は女性には堪えられないようだ。
「私の口からは言えません。サブロウタさんのプライベートですから」
言うなよ、言わんでくださいと言わんばかりのサブロウタの流し目を見つつ、ルリは答えた。
「えー、いいじゃない教えてよールリちゃ〜ん」
予想通りに上から響くユリカの声に、ルリは苦笑する。
「ま、見てればわかりますよ。黙ってれば二枚目で通るこのサブロウタさんが、彼女の前ではお笑い担当に豹変しますからね」
「「「!」」」
ああ、と女性陣は思い立った人物にポンと手を打つ。おいおい、とサブロウタは目を剥く。にぶちんの誰かさんと違い、さすがにサブロウタは言外のそれに聡い。
「私は何も言ってませんが?誰だなんて」
「かん…ルリさん。そりゃ酷いっすよ…」
サブロウタは、悲しそうに顔を伏せた。
しかしルリ側の論理では、ここでサブロウタの想い人をバラすのは一種の助け船でもある。何しろここには世話好きのミナトがいるのだ。史実と違い未だ多感な恋する女性であるミナトのこと、きっとサブロウタの力になってくれるだろう。
(…がんばってくださいね、サブロウタさん)
ルリは内心、ふふ、と微笑んだ。
…と、その時、
『ルリ。少し気になる事がある』
「?なんですかオモイカネ?」
突然に開いたウインドウに、ルリは「?」な顔をした。
「はぁ。それにしてもやっぱりいい腕よねえ。ご馳走様」
「ありがと。おそまつさま」
影護部屋で、亜希の手料理を食べているのはイネス。
「はぁ。いい気分。やっぱりお兄ちゃんの料理、いいわぁ」
「お姉ちゃんだっつーのに。誰か聞いてたらどうすんの。それよりアイちゃん、食事くらいきちんとしなきゃダメじゃん。身体壊すよ?医務室にカップメンなんか山積みにしてもう。最初の頃のルリちゃんじゃあるまいし」
どうやら、見かねてここまで引きずって来たようである。
「あら?あの子の食生活もそうだったの?」
最も初期のルリを知らないイネスは、へぇっとトリビアな顔をする。
「ルリちゃんはジャンクフード系ね。栄養が足りればそれでいいって」
「ふうん……それをよくあそこまで餌づけしたわねえ…」
「あのね。野生動物じゃないんだからもう…さ、お茶どうぞ」
「ん、ありがと♪」
時を越えようが異性になろうが、そんな亜希の変化をイネスとあまり気にしていないようだった。
イネスにとってアキトという存在は幼児期の刷り込みのようなものである。性愛以前の存在なのだから、お兄ちゃんがお姉ちゃんになっても大差ないわけだ。…まぁ、夜の事は別としてあり、その意味では愛するお兄ちゃんが変わってしまったのは悲しい事だ。だが、イネス・フレサンジュでなくアイというひとりの少女の思いとしては、やはりそれはどちらでも構わない。
優しく、強く、そして弱い存在。それがイネスにとっての「お兄ちゃん」であり「お姉ちゃん」なのだ。
「それにしてもまあ…今回はずいぶんと和平が早く来たわねえ」
「?何を今さら?『イネスさん』もその立役者のひとりだろうに」
「あら、それは違うわよ」
「え?」
誤解があるようね、とイネスと悠然と笑った。
「私は単に、火星で研究暮らしができればそれでよかったの。未来の高杉君だってここまで大規模な改変は想像してなかった。火星の後継者の乱みたいなのをなんとか回避したい。それは考えていたみたいだけど」
「そうかもしれないけど…でも結果としてそれが」
「それも違うわよ。いい?
そもそも、あの草壁春樹がどうして和平派に鞍替したの?」
「それは…東舞歌とかいう女の人のためでしょ?」
「そう。それは前に説明したわね。じゃあその東舞歌が動いた理由は?貴女と影護君じゃないの?」
「!」
あ、という反応をする亜希。ほら見なさい、と苦笑するイネス。
「少なくとも、貴女たち2人は見事に歴史を変えたのよ。もっと誇りに思っていいんじゃない?」
「……そうかな?」
「え?」
亜希は、ぼそりと呟きをもらした。
「…あまりにも簡単すぎるって思わない?アイちゃん」
「…」
「百年の怨念だよ?そう簡単に晴れるもんなのかな?」
「…元・黒い王子様が言うと説得力あるわね」
「茶化さないでよもう。
いい?アイちゃん。あれだけの事をしたの、私ひとりの力だなんて自惚れるつもりはないよ?でも、逆に言うと「私たち」だけの力であれほどの事ができたわけだよね?」
「…そうね。それも、わずか数年の事だわ」
「なのに…こんなに簡単に終わるのかな?ほんとに?」
「…まだ何かある、そんな気がする… そう言いたいわけね?」
「うん、まあね」
イネスは、ふうん、とちょっと寂しそうに亜希を見た。
「…やっぱり、変わっちゃったのね…」
「え?」
「あのね…『お兄ちゃん』の頃だったらきっと、そんな事考えなかったと思うのよね。やっぱりそういう思考が出るあたり、変わったというべきよねきっと」
「…そりゃ、あれから何年もたってるし…あんな経験すりゃ」
「あ、違うわよそれ」
「?」
亜希の言葉に、ふるふると首をふるイネス。
「黒い王子様の時代だって、あのナデシコ時代とお兄ちゃんは変わってなかった。同じ人間の光と影みたいなものかもしれないけどね。
でも、今の『お姉ちゃん』はやっぱり違う。成長した、というよりこの場合、順調に女性化が進んでいるというべきなのかしら?ま、喜ぶべきなんだろうけどね。ここは本来」
「…」
イネスの言葉に、亜希は複雑そうな顔で苦笑するだけだった。
「ねえ、お兄ちゃん?」
「…あのねイネス」
いいかげん、兄を姉と訂正するのに疲れた亜希は、それ以上の言葉を継がなかった。だが、
「…まだ、ユリカさんのこと愛してる?」
「!」
その質問には、さすがの亜希も固まらざるを得なかった。
丁度その頃、ルリはブリッジで真っ青になっていた。
「…そ、そんな…そんな!!」
「?どうしたのルリちゃん?」
不思議そうなユリカの声に、蒼白な顔でルリは振り返ろうとする。が、
「待て妖精」
「!!」
真下のブリーフィングルームから、影護の声がかかった。
「か、影護さん!ユーチャ」
「待てというのに。もう少し落ち着いてよく調べてみよ」
「で、でも」
「よいから調べろというのだ。おそらく問題はない」
「…え?」
「…」
完全にパニックしかかっていたルリは、影護の顔をまじまじと見た。
「…何か確信があるんですか?」
「そうだ。だから調べてみよ。我の言葉の意味がわかるはずだ」
「…わかりました。オモイカネ、ウリバタケさんに頼んで隠密型のパッシブスキャナーを出して貰って。」
『了解』
「ユリカさん」
「わかってる」
影護とルリのやりとりを背後で見ていたらしいユリカが、ふっと前を向く。
「ナデシコ、第三次警戒態勢へ。整備班とパイロットの皆さんは念の為配置についてください。秋山さん、ブリッジまでお急ぎくだ…」
「(プシュー)もう来ている『アキヤマゲンパチロウ、ブリッジイン』」
ユリカの声が聞こえるや否や、背後でドアの開閉音と共に秋山が入って来た。
「わ、早いですね秋山さん。」
「いやあ、影護どのに聞いたユリカどのの艦長ぶりを是非拝見したいと思いましてな。はっははは。好奇心も時には役にたつものです」
秋山は恰幅のよい身体で胸をはり、豪快に笑った。
「撫子、警戒態勢に移行しました。」
「バレたか、これは」
「バレましたね。完全にセンサーの範囲外なのですが。流石です」
「ふむ。なるほどな。人間のおそろしさ…か」
男はしばし考えこむようにウインドウに映るナデシコを見る。そしてつぶやく。
「よし、ではバレついでだ。脅かしてやろうか」
「…いいんですか?まだこちらが何者かは知らない可能性もありますが」
「かまわん」
男は、少女にニヤリと笑う。
「どのみち、一隻や二隻で追跡してくるほどあいつらは馬鹿じゃない。その賢さゆえに追ってはこない」
「いずれ追尾されますが?」
「それまでにはこちらの準備も整うだろう。
通信班、第2作戦発動を基地に伝えろ。これより本艦はナデシコに挨拶に向かう。」
男は、腕組みをしてニヤリと笑う。少女はフフッと苦笑する。
「…翡翠、急速反転180度。重力波砲発射準備」
「わかりました。黒龍さん」
「全員、ショックに備えろ。一時的に慣性制御を切るぞ!!」
「!」
イネスとくつろいでいた亜希はビク、と反応するとやにわにポケットからヘッドセットを取りだした。
「…お姉ちゃん?それ何かしら?」
「ウリバタケさんのおもちゃ!それよりアイちゃん、ブリッジ行くよ!」
「わかったわ」
ブリッジで、ルリは悲鳴に近い、しかし知らない者には冷静そのものの声で告げた。
「センサー範囲外で大規模の相転移反応。誰かがグラビティ・ブラストを発射しようとしています」
「「「!?」」」
ブリッジ全体に緊迫のムードが漂う。
「範囲外?そんなとこでグラビティ・ブラストを?ナデシコ狙うにしてもそれって」
そりゃそうだろう。そんな場所から撃ってもナデシコのフィールドは破れない。
「それは違うよ、ミナトさん」
「?艦長?」
珍しい事に、ミナトに突っこんだのはルリでなくユリカだった。
「こちら艦長です。ナデシコ全艦に緊急連絡。全員、対ショック体制!予期せぬ衝撃に備えてください!
ミナトさん、方向転換及び姿勢制御スラスタースタンバイ!手元のパネルに指示が出たら、すぐにその分だけ方向転換してください!ルリちゃん!敵の位置をコンマ01秒以内のサンプリング周期で艦長席コンソールに送って!それとグラビティ・ブラスト発射スタンバイ!!メグちゃん、木連の周波数にあわせて通信準備!!」
「りょ、了解!」
「わかりました。発射準備完了」
たちまち慌ただしく全てが動きだし、ユリカの目の前にパネルが開く。
「…」
「…」
ユリカはゆっくり、パネルに手を添える。その後ろで、感心したように秋山は見ている。
「…敵戦艦と推定されるもののエネルギー値急速上昇。グラビティ・ブラスト、まもなく発射します……発射」
メインパネルの向こうに、小さな光芒がチカチカと映る。
「エネルギー、ナデシコの前方右0.1度の方向に飛んで…?敵艦、今の発射と同時に急速接近!」
「「「!?」」」
ざわ、とざわめくブリッジ。ニヤリと不敵に笑うユリカ。
もし、ここにアオイジュンがいたら、ユリカの顔を見て真っ青になったろう。士官学校時代、カイゼルパパの悪口を言った教官を体感戦術シミュレータで完膚無きボッコボコにブッ潰した時の、一本ブチ切れたユリカの顔がそこに見えたろうからだ。
ユリカは毒々しい笑いをする娘ではない。脳天気を絵に描いたような性格は地なのである。
だが、普段のユリカが引込み完全に戦術家としてのユリカが頭をもたげた時、それは変わる。アキトがいた前の史実では決してありえなかった、完全リミッターなしの「悪魔のチェス・プレイヤー」。それが今、死神の鎌首を持ち上げていた。
「…今です!!」
「了解!!」
ユリカが叫んだ瞬間、ミナトの手がスパパパッと手元のコンソールを叩いた。その途端、
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