終章・地球へ(2)

「撫子、それに『ゆめみづき』の二艦を発見しました」
  薄暗い船内に、年頃くらいの少女の声が淡々と響いている。
「よし、ただちに背後より追撃せよ。」
  その少女の声に対し、若い男の声が高らかに響く。しかし、
「危険です」
「危険は承知の上。しかし本船の能力はあの撫子を上まわるはず」
  しかし、少女はやはり首をふる。
「未知数だらけ、訓練はおざなり。今攻めるのはまさに下の下です。まずは調査を優先しなくてはなりません」
「…命令だぞこれは。いくらおまえでも」
  怒りを露わにする男に、少女は涼しい顔のままだ。
「司令官。貴方が『火星の後継者』設立のために賛同者を集めたのは何のためです?『人間』の能力を重要視しているためでしょう?なのになぜ、同じ論法を敵にも摘要しないのですか?」
「!」
  う、という顔をする男に、少女は微笑む。
「貴方は優れた判断力と人望をお持ちです。司令官。
  しかし唯一の問題点は、その熱しやすさ。ですから私がここにいるのです。私には司令官のような判断力は望めませんが、いざという時の制動くらいにはなると思いますので」
「…ふむ。そうだったな。
  わかった。このまま撫子の索敵範囲外から監視を続けろ」
「了解です。司令官」
  少女は、長いツインテールの髪を揺らすとオペレータコンソールに戻った。
  周囲は、そうした少女と男のやりとりにも慣れているのだろう。要員がわずか数名という木連戦艦としては異例の少なさもあり、ブリッジにはたちまち静けさが戻った。
「…撫子よ…今に見ていろ。この『しろがねづき』と新型機動兵器でいつかそなたらを」
  男の顔が、端整なそれの端に憎しみを僅かにのぞかせた。
  
  
  
  防諜対策を施したその部屋で、密談はおこなわれていた。
  フクベ提督の私室なのだが、その和風な雰囲気はそこにいる彼らにとてもよく似合っている。フクベ本人はというと傍聴人として参加してはいるが、とりあえず先程から何を発言するでもなく、単にお茶をすすっているだけだ。
  話をしているのは、主に秋山と影護であった。
「それで…木連の側は問題ないのだな?」
「はい、現状では。ただ」
「ん?」
  秋山の渋るような口調に、影護は眉をしかめる。
「…何か、動いたか?」
「…はい。南雲とその一派が行く方を眩ましております」
「南雲か…やはり『火星の後継者の乱』は避けられぬかな」
「わかりません。しかし『史実』と違い草壁閣下が指揮をしておりませぬゆえ、状況がいまいち」
「…こちらの我は、何をしておるのだ?」
「南雲一派の追跡です。…しかし、彼らの所在が全くの不明でして…」
「ほう。それは凄いな。戦艦でも奪って逃げたか?木連内部にいる限り、我ならなんとでもするであろうに」
「…流石ですな。その通り。彼らは極秘の新造戦艦を奪って逃げたようで」
「極秘の?…妙だな。この時期の再新鋭戦艦と言えば」
「……やはりそうですか」
「?」
「…この写真を見てください。北辰どのの部下の撮影です」
「…!?なんだと!?」
  影護の顔が、驚きに染まった。
  
  
  
「サブロウタさん。そんなに気落ちしないでください。チャンスはありますよ」
「…くそぉ」
  ブリッジでうなだれたサブロウタ(未来バージョン)。隣のルリは特になぐさめるでもなく、お茶を薦めただけで後はまたオペレータ業務に戻っている。
「なんで…あいつなんかに…」
「そりゃ、肝心の王子様が居ませんからね。サブロウタさんが悪いんですよ?もっと早くナデシコに来ればよかったんですから」
「…うー」
  サブロウタが、リョーコにけんもほろろにされるのは別に珍しい事ではない。未来にあってサブロウタはよくリョーコを怒らせたものだ。しかしそれは全て彼の作戦でもあった。
  ジゴロでない普通のひとなら首をかしげるだろう。怒らせるという行為がなんでアプローチになるのか、と。
  だが、怒るという事はすなわち冷静さを欠き地が剥きだしになるという事でもある。ガードの硬い女の子を落とすにはまずガードを崩さねばならないわけで、怒らせるのもひとつの方法だったりするのだ。
  サブロウタのようなタイプの人間はこういうガードの硬い異性を通常は避ける。しかしサブロウタの場合は違った。なぜか?端的に言えばそれは彼が本気だからである。硬い方が落としがいがあるというのも事実かもしれないが、それも程度によるだろう。やっぱり根っこが木連人であるサブロウタは、女の子には珍しい完全熱血型のリョーコは逆にかわいらしく見えた。難攻不落なタイプと見てさらに「燃え」た。アキトを忘れられないのを見てますます「萌え」た。堅物のうえに一途ときた。この時点でもう、サブロウタの中でリョーコの立場はお姫様に等しい存在になってしまったのである。
  しかし…今回のリョーコの相手は、かつてのアキトではなく、なんとあの北辰の未来。頭を抱えずしてなんとしよう。
「…ルリルリ。彼といつ知り合ったの?」
  ミナトが当然の疑問をなげてくる。ルリはそれに答える。
「話せば長くなりますが…簡単に言えば、サブロウタさんの意中の女性を私がよく知ってる。そういう関係ですかね」
「へえ。そうなんだ。で、そのひとって誰なの?ナデシコにいるの?」
「…」
  見れば、反対側でメグミも『耳ダンボ状態』である。見上げるとユリカの髪が艦長席のブースからはみ出している。やはりこの種の話題は女性には堪えられないようだ。
「私の口からは言えません。サブロウタさんのプライベートですから」
  言うなよ、言わんでくださいと言わんばかりのサブロウタの流し目を見つつ、ルリは答えた。
「えー、いいじゃない教えてよールリちゃ〜ん」
  予想通りに上から響くユリカの声に、ルリは苦笑する。
「ま、見てればわかりますよ。黙ってれば二枚目で通るこのサブロウタさんが、彼女の前ではお笑い担当に豹変しますからね」
「「「!」」」
  ああ、と女性陣は思い立った人物にポンと手を打つ。おいおい、とサブロウタは目を剥く。にぶちんの誰かさんと違い、さすがにサブロウタは言外のそれに聡い。
「私は何も言ってませんが?誰だなんて」
「かん…ルリさん。そりゃ酷いっすよ…」
  サブロウタは、悲しそうに顔を伏せた。
  しかしルリ側の論理では、ここでサブロウタの想い人をバラすのは一種の助け船でもある。何しろここには世話好きのミナトがいるのだ。史実と違い未だ多感な恋する女性であるミナトのこと、きっとサブロウタの力になってくれるだろう。
(…がんばってくださいね、サブロウタさん)
  ルリは内心、ふふ、と微笑んだ。
  …と、その時、
『ルリ。少し気になる事がある』
「?なんですかオモイカネ?」
  突然に開いたウインドウに、ルリは「?」な顔をした。
  
  
  
「はぁ。それにしてもやっぱりいい腕よねえ。ご馳走様」
「ありがと。おそまつさま」
  影護部屋で、亜希の手料理を食べているのはイネス。
「はぁ。いい気分。やっぱりお兄ちゃんの料理、いいわぁ」
「お姉ちゃんだっつーのに。誰か聞いてたらどうすんの。それよりアイちゃん、食事くらいきちんとしなきゃダメじゃん。身体壊すよ?医務室にカップメンなんか山積みにしてもう。最初の頃のルリちゃんじゃあるまいし」
  どうやら、見かねてここまで引きずって来たようである。
「あら?あの子の食生活もそうだったの?」
  最も初期のルリを知らないイネスは、へぇっとトリビアな顔をする。
「ルリちゃんはジャンクフード系ね。栄養が足りればそれでいいって」
「ふうん……それをよくあそこまで餌づけしたわねえ…」
「あのね。野生動物じゃないんだからもう…さ、お茶どうぞ」
「ん、ありがと♪」
  時を越えようが異性になろうが、そんな亜希の変化をイネスとあまり気にしていないようだった。
  イネスにとってアキトという存在は幼児期の刷り込みのようなものである。性愛以前の存在なのだから、お兄ちゃんがお姉ちゃんになっても大差ないわけだ。…まぁ、夜の事は別としてあり、その意味では愛するお兄ちゃんが変わってしまったのは悲しい事だ。だが、イネス・フレサンジュでなくアイというひとりの少女の思いとしては、やはりそれはどちらでも構わない。
  優しく、強く、そして弱い存在。それがイネスにとっての「お兄ちゃん」であり「お姉ちゃん」なのだ。
「それにしてもまあ…今回はずいぶんと和平が早く来たわねえ」
「?何を今さら?『イネスさん』もその立役者のひとりだろうに」
「あら、それは違うわよ」
「え?」
  誤解があるようね、とイネスと悠然と笑った。
「私は単に、火星で研究暮らしができればそれでよかったの。未来の高杉君だってここまで大規模な改変は想像してなかった。火星の後継者の乱みたいなのをなんとか回避したい。それは考えていたみたいだけど」
「そうかもしれないけど…でも結果としてそれが」
「それも違うわよ。いい?
  そもそも、あの草壁春樹がどうして和平派に鞍替したの?」
「それは…東舞歌とかいう女の人のためでしょ?」
「そう。それは前に説明したわね。じゃあその東舞歌が動いた理由は?貴女と影護君じゃないの?」
「!」
  あ、という反応をする亜希。ほら見なさい、と苦笑するイネス。
「少なくとも、貴女たち2人は見事に歴史を変えたのよ。もっと誇りに思っていいんじゃない?」
「……そうかな?」
「え?」
  亜希は、ぼそりと呟きをもらした。
「…あまりにも簡単すぎるって思わない?アイちゃん」
「…」
「百年の怨念だよ?そう簡単に晴れるもんなのかな?」
「…元・黒い王子様が言うと説得力あるわね」
「茶化さないでよもう。
  いい?アイちゃん。あれだけの事をしたの、私ひとりの力だなんて自惚れるつもりはないよ?でも、逆に言うと「私たち」だけの力であれほどの事ができたわけだよね?」
「…そうね。それも、わずか数年の事だわ」
「なのに…こんなに簡単に終わるのかな?ほんとに?」
「…まだ何かある、そんな気がする… そう言いたいわけね?」
「うん、まあね」
  イネスは、ふうん、とちょっと寂しそうに亜希を見た。
「…やっぱり、変わっちゃったのね…」
「え?」
「あのね…『お兄ちゃん』の頃だったらきっと、そんな事考えなかったと思うのよね。やっぱりそういう思考が出るあたり、変わったというべきよねきっと」
「…そりゃ、あれから何年もたってるし…あんな経験すりゃ」
「あ、違うわよそれ」
「?」
  亜希の言葉に、ふるふると首をふるイネス。
「黒い王子様の時代だって、あのナデシコ時代とお兄ちゃんは変わってなかった。同じ人間の光と影みたいなものかもしれないけどね。
  でも、今の『お姉ちゃん』はやっぱり違う。成長した、というよりこの場合、順調に女性化が進んでいるというべきなのかしら?ま、喜ぶべきなんだろうけどね。ここは本来」
「…」
  イネスの言葉に、亜希は複雑そうな顔で苦笑するだけだった。
「ねえ、お兄ちゃん?」
「…あのねイネス」
  いいかげん、兄を姉と訂正するのに疲れた亜希は、それ以上の言葉を継がなかった。だが、
「…まだ、ユリカさんのこと愛してる?」
「!」
  その質問には、さすがの亜希も固まらざるを得なかった。
  
  
  
  丁度その頃、ルリはブリッジで真っ青になっていた。
「…そ、そんな…そんな!!」
「?どうしたのルリちゃん?」
  不思議そうなユリカの声に、蒼白な顔でルリは振り返ろうとする。が、
「待て妖精」
「!!」
  真下のブリーフィングルームから、影護の声がかかった。
「か、影護さん!ユーチャ」
「待てというのに。もう少し落ち着いてよく調べてみよ」
「で、でも」
「よいから調べろというのだ。おそらく問題はない」
「…え?」
「…」
  完全にパニックしかかっていたルリは、影護の顔をまじまじと見た。
「…何か確信があるんですか?」
「そうだ。だから調べてみよ。我の言葉の意味がわかるはずだ」
「…わかりました。オモイカネ、ウリバタケさんに頼んで隠密型のパッシブスキャナーを出して貰って。」
『了解』
「ユリカさん」
「わかってる」
  影護とルリのやりとりを背後で見ていたらしいユリカが、ふっと前を向く。
「ナデシコ、第三次警戒態勢へ。整備班とパイロットの皆さんは念の為配置についてください。秋山さん、ブリッジまでお急ぎくだ…」
「(プシュー)もう来ている『アキヤマゲンパチロウ、ブリッジイン』」
  ユリカの声が聞こえるや否や、背後でドアの開閉音と共に秋山が入って来た。
「わ、早いですね秋山さん。」
「いやあ、影護どのに聞いたユリカどのの艦長ぶりを是非拝見したいと思いましてな。はっははは。好奇心も時には役にたつものです」
  秋山は恰幅のよい身体で胸をはり、豪快に笑った。
  
  
  
「撫子、警戒態勢に移行しました。」
「バレたか、これは」
「バレましたね。完全にセンサーの範囲外なのですが。流石です」
「ふむ。なるほどな。人間のおそろしさ…か」
  男はしばし考えこむようにウインドウに映るナデシコを見る。そしてつぶやく。
「よし、ではバレついでだ。脅かしてやろうか」
「…いいんですか?まだこちらが何者かは知らない可能性もありますが」
「かまわん」
  男は、少女にニヤリと笑う。
「どのみち、一隻や二隻で追跡してくるほどあいつらは馬鹿じゃない。その賢さゆえに追ってはこない」
「いずれ追尾されますが?」
「それまでにはこちらの準備も整うだろう。
  通信班、第2作戦発動を基地に伝えろ。これより本艦はナデシコに挨拶に向かう。」
  男は、腕組みをしてニヤリと笑う。少女はフフッと苦笑する。
「…翡翠、急速反転180度。重力波砲発射準備」
「わかりました。黒龍さん」
「全員、ショックに備えろ。一時的に慣性制御を切るぞ!!」
  
  
  
「!」
  イネスとくつろいでいた亜希はビク、と反応するとやにわにポケットからヘッドセットを取りだした。
「…お姉ちゃん?それ何かしら?」
「ウリバタケさんのおもちゃ!それよりアイちゃん、ブリッジ行くよ!」
「わかったわ」
  
  
  
  ブリッジで、ルリは悲鳴に近い、しかし知らない者には冷静そのものの声で告げた。
「センサー範囲外で大規模の相転移反応。誰かがグラビティ・ブラストを発射しようとしています」
「「「!?」」」
  ブリッジ全体に緊迫のムードが漂う。
「範囲外?そんなとこでグラビティ・ブラストを?ナデシコ狙うにしてもそれって」
  そりゃそうだろう。そんな場所から撃ってもナデシコのフィールドは破れない。
「それは違うよ、ミナトさん」
「?艦長?」
  珍しい事に、ミナトに突っこんだのはルリでなくユリカだった。
「こちら艦長です。ナデシコ全艦に緊急連絡。全員、対ショック体制!予期せぬ衝撃に備えてください!
  ミナトさん、方向転換及び姿勢制御スラスタースタンバイ!手元のパネルに指示が出たら、すぐにその分だけ方向転換してください!ルリちゃん!敵の位置をコンマ01秒以内のサンプリング周期で艦長席コンソールに送って!それとグラビティ・ブラスト発射スタンバイ!!メグちゃん、木連の周波数にあわせて通信準備!!」
「りょ、了解!」
「わかりました。発射準備完了」
  たちまち慌ただしく全てが動きだし、ユリカの目の前にパネルが開く。
「…」
「…」
  ユリカはゆっくり、パネルに手を添える。その後ろで、感心したように秋山は見ている。
「…敵戦艦と推定されるもののエネルギー値急速上昇。グラビティ・ブラスト、まもなく発射します……発射」
  メインパネルの向こうに、小さな光芒がチカチカと映る。
「エネルギー、ナデシコの前方右0.1度の方向に飛んで…?敵艦、今の発射と同時に急速接近!」
「「「!?」」」
  ざわ、とざわめくブリッジ。ニヤリと不敵に笑うユリカ。
  もし、ここにアオイジュンがいたら、ユリカの顔を見て真っ青になったろう。士官学校時代、カイゼルパパの悪口を言った教官を体感戦術シミュレータで完膚無きボッコボコにブッ潰した時の、一本ブチ切れたユリカの顔がそこに見えたろうからだ。
  ユリカは毒々しい笑いをする娘ではない。脳天気を絵に描いたような性格は地なのである。
  だが、普段のユリカが引込み完全に戦術家としてのユリカが頭をもたげた時、それは変わる。アキトがいた前の史実では決してありえなかった、完全リミッターなしの「悪魔のチェス・プレイヤー」。それが今、死神の鎌首を持ち上げていた。
「…今です!!」
「了解!!」
  ユリカが叫んだ瞬間、ミナトの手がスパパパッと手元のコンソールを叩いた。その途端、
  

…ぐりんっ!!!
  
  まるで小さなシャトルでも反転するかのように、いとも楽々とナデシコは後ろに向き直った!!
  
  
  
「「「!!!」」」
「「「!!!」」」
  
  
  
  奇しくも、両陣営のブリッジは同時に声なき絶叫をあげた。
「……」
「…こ、こりゃあ…」
「…」
「……」
  驚くべき事に、ふたつの戦艦はピタリと向き合い砲軸をあわせ、お互いの中心をピタリと捕えていた。
「…すげえ。ピッタリだ。」
「…信じられん」
「…」
  いろんな意味で驚いている面々。しかしその中で、ルリの蒼白な顔だけは違っていた。
「…そんな…ユーチャリス…どうして…」
  そう。
  それは、消えたはずのネルガル試作実験艦にして黒い王子様の駆った「死を司る白亜の戦艦」、『ユーチャリス』だった。
  もともと、秘匿艦ゆえにネルガルのロゴはついていない。その純白の花のような美しい姿は未来のエリナ・キンジョウ・ウォンのデザイン。艦艇デザイナーとして不世出の才能を持つ彼女、最初で最後の傑作である。
「(ハッ)い、いったい誰が操縦を?あれを動かすにはマシンチャイルドが必須のはず…」
  厳密にはそうではない。しかしここに至るまでのユーチャリスの動きで経験上、オペレータがいるとルリは判断していた。それもマシンチャイルドが。
  そして、そのつぶやきをまるで聞いていたかのようにユリカが動く。
「メグちゃん」
「…」
「メグちゃん!」
「!は、はいっ!」
「通信開いて。相手に繋ぎます」
「あ、はい…!あ、向こうからも通信みたいです」
「つないでくれる?」
「あ、はい」
  ブリーフィングルーム上の空間にウインドウが開き、相手側のブリッジが映った。
「「!!」」
  驚愕の顔になったのは、影護とルリ。そして、
「そんな…そんな馬鹿な」
  ルリの背後で、いつのまにか入って来た亜希が呆然と立っていた。
  
  
  
『こちら、木連新造戦艦「しろかねづき」。艦長の、黒龍(こくりゅう)だ』
『メインオペレータの、翡翠と申します』
「こちらはナデシコ艦長、ミスマルユリカです」
「ゆめみづき艦長、優人部隊所属。秋山源八郎だ」
「…」
「…」
  亜希とルリは、悪夢を見る思いだった。
  周囲からは、可愛いとか、カッコイイとかいう声が聞こえている。幻想のように美しい、美女の入り口に差しかかったくらいの美少女を伴い、どこかの王子のような美しい青年が黒ずくめでバイザーをつけ立っているのだ。王子様とお姫様、といった趣きである。
  …美少女と、黒い王子。
「…どうして」
  信じられぬ、という顔でつぶやく亜希。
「…私とアキトさん…なぜ?」
  震える声で見つめる、ルリ。
「貴様ら」
  先に口を開いたのは、秋山だった。
「このナデシコと我がゆめみづきが、木連と地球連合の架け橋と知っての行為か?場合によっては許さんぞ」
『卑劣極まる地球連合が、本当に平和を望むと思うか?彼らの狙いは跳躍の技術のみ。用が済めば我らは虐待され捨てられる。それだけだ』
  続いて、翡翠と名乗った未来のルリそっくりの娘も口を開く。
『むろん、地球連合にも平和を正しく願う方々がおられるでしょう。そして罪もない人々も。
  しかし、現在の連合軍と政府は全く信用に値しません。遺憾ですが』
「貴様ら…それでも誇りある木連人か…」
  秋山の表情が、憤怒でたちまち鬼神の如き顔に変わって行く。
『その言葉、そっくり秋山どのにお返ししたい。
  我らは我らのやり方で決着をつける。草壁殿の離反に失望した者は少なくない。我らは負けない。たとえ最後のひとりになろうとも』
『本日は顔見せです。この場で戦うのも一興ですが、私たちが望むのは一方的殲滅であって潰しあいの泥試合ではありません。長い戦いになれば人的資源の少ない私たちも不利ですが、何より地球連合にもよくない。長い戦争は上の腐敗と若者の犠牲を増すだけなのですから』
『…というわけだ。それでは…また逢おう』
「…待ってください!!」
『…ん?』
  通信を切ろうとしたのだろう黒龍と翡翠に、ルリが声をかけた。
『…何かな?ホシノルリ・ナデシコメインオペレータ』
「どうしてあなたが木連の味方をしているのですか?
  火星・ユートピアコロニー出身でユリカさんの幼なじみ、テンカワアキトさん?」
「え?」
  驚いた顔をするユリカ。ざわ、とブリッジに響くざわめき。
『…ほう。それが俺の過去か。詳しいなホシノ・ルリ』
「?何を言いたいのですか?」
  ルリの目が怪訝そうに細められる。周囲の「?」なざわめきも全て無視している。
『俺と翡翠は、木連の郊外に倒れているところを拾われたのだ。ふたりとも記憶がなくてな。地球出身である事は服装からわかったらしいが俺も翡翠も右も左もわからん状態だった。ただ1つだけわかった事は、翡翠と俺がとても親しい間柄だったと思える事だけ。黒龍と翡翠という名も、世話になった道場の親方に貰ったものだ』
「そうですか…大変でしたね。
  どうでしょう?私はあなたと、そこの翡翠さんの過去の情報を持っています。敵対するしないは別として、一時休戦という事でこちらに来ませんか?今でしたら、秋山艦長とユリカさんに間に立っていただき、穏便にお会いできると思いますが」
「る…ルリちゃん。そんな事勝手に決めちゃっていいの?」
「あ、いいよメグちゃん。私もそのつもりだから」
「へ?」
  突っこもうとしたメグミに、上からユリカが微笑む。
「うむ。私も同意しよう」
  秋山も腕組みし、それに追従した。
  そんなやりとりを微笑んで見、ユリカと目くばせをした後、ルリは続ける。
「私の経歴を見たのなら、私がどういう存在であるかもご存じでしょう。私にはあまり多くの過去がありません。ですから私には、あなたがたの抱える問題を些細なものとは考えられません。
  これは戦争以前の人道的措置です。地球連合の事が信じられなくて構いません。私とユリカさん、それに秋山艦長の事だけ信じてくだされば」
『…すまんなホシノルリ。ぜひ聞きたいが今はそれができない。』
  黒龍と翡翠は目くばせした。そして今度は翡翠が声を出す。
『いつか、再び合い間見えましょう。次はたぶん戦場になりますが…機会あればその時、ゆっくりお話を聞かせてください。
  最後に。ユリカ艦長と航海士の方。凄まじい操艦の手腕、恐れ入りました。それでは』
「あ、待ってくだ…!」
  キシュン、と音をたて、ウインドウは閉じてしまった。同時に画面の向こうでユーチャリス…しろかねづきが後退をはじめる。
「艦長!攻撃は」
「ダメです。仮にも和平の交渉をした相手を撃つ事はできません」
「…」
  沈黙してしまったブリッジの中。
  遠ざかるユーチャリスを見つめ、ユリカはつぶやく。
(あれはアキト…未来のアキト?でも未来のアキトは亜希ちゃん。う〜ん…。
  それにあの女の子は……ルリちゃん?)
  むう、とユリカは唸る。
(アキトの浮気者。あんな肩抱いちゃって。記憶もないのに…そんなにルリちゃんがいいの?)
  どこかズレた怒りの顔をする、ユリカだった。
  
  
  
「事故なんです。ボソンジャンプの」
  ブリーフィングルームに集まったブリッジ要員の中、ルリは語り出した。
「あの翡翠という女性は未来の私自身です。ただし記憶というか、人格も何もない状態で身体だけ木連に流れついたみたいですね。なんだかちょっと複雑な気分ですが」
「はあい。ルリちゃん」
「なんですか?メグミさん」
「どうして記憶だけじゃなく人格もないってわかるの?」
「そりゃあわかりますよ。ここにその本人がいるんですから」
「…はい?えーとそれって…」
「はい。その中身は私です。こちらの11歳の私と混じってしまったようです」
「は…はぁ。そうなんだ」
「はい」
  メグミは、論理的思考というのが苦手なようである。うーんと頭を抱えている。
「じゃあ、ルリルリってば未来から来たっていうこと?」
「はい、そうですミナトさん。実はミナトさんにお会いするのも二度目だったんです…すみません。隠してて」
「あ、あはは。いいわよそんなこと。
  それに、いきなり初対面で「私は未来であなたに逢いました♪」なんて言ったら、それって変なひとだもんねえ…」
「はい。さすがミナトさんです。わかってもらえて嬉しいです」
  ホッとひといきつくように笑うルリ。うふふと笑うミナト。
「じゃあ、あの黒龍さんってひとは?艦長のおさななじみっていうのはどうして知ってたの?ルリルリ?」
「それは…ちょっと色々あるんですが、実はテンカワ・アキトさんは、私の『前回』ではナデシコに乗ったんですよ。今回は、『前回』で乗ってなかった木連人の影護さん、それに亜希さんが乗っておられますから、アキトさんは乗らなかったんですが」
「…ルリルリ〜♪」
「はい?なんですかミナトさん?」
  にぱぁ、と笑うミナト。いやな予感がしてたじろぐルリ。
「それじゃ答えになってないよルリルリ。ルリルリとそのアキト君はどういう関係だったの?」
「…父と娘です。もちろん義理ですが」
「父?娘?どうして?」
「ユリカさんとアキトさんが結婚されたんですが、その時にまだ身よりのない私をひきとったんです。最初は私、ユリカさんのお父さまであるミスマル提督にひきとられたんですが、提督がアキトさんとユリカさんの結婚に反対ばかりするので、ユリカさんが母娘(おやこ)で家出するとぬかしやがりまして」
「る、ルリルリ、言葉言葉」
「!あ、し、失礼しました。…でもまあそんなわけです」
「…そ。ま、いいけど」
「…」
  ミナトは、ルリの顔からだいたいの事情を理解してしまったようである。ふふ、と笑う。対して「あうぅ〜まずいです」と困り顔のルリ。
「…最後にもいっこ質問していい?ルリルリ」
「なんですかミナトさん。…でも、申し訳ないですがあまり個人的に立ち入った事は。私はともかくユリカさんは未来から来たわけじゃないんです。自分の知らない未来の自分の話なんて普通、話題にされたくないと思いませんか?」
「ん、わかってる。ごめんねルリルリ。最後の質問というのはね…」
「…?」
  なんだかいつのまにか、ミナトが代表で質問するような空気になっている。皆の視線がそう言っているのが、ルリにはよくわかった。
「黒龍さん…つまりルリの言うアキト君ね。彼もあの翡翠ちゃん同様に記憶も人格もないわけ?」
「はい。間違いありません」
「ふうん。でも変ね」
「え?」
  ミナトは、ふうっとため息をついた。
「アキト君の心は今、どこにあるのかな?」
「!!」
  ルリの態度が、目に見えて動揺のそれに変わる。
「私なら、元とはいえ奥さんと娘が戦艦に乗るなんて放っとかないと思うのよね〜。絶対一緒に乗りたがると思うの。きっとそのアキト君もそうじゃないかな?奥さんと新婚生活するのにルリルリ引き取っちゃうような優しい子だもん」
「…優しい、ですか?私をひきとるのが」
「優しいわよぉ!」
  ミナトが、やあねえ、というように肩をすくめた。
「既に落ち着いてるならともかく新婚に、十代の女の子同伴だよ?すごく気を使うと思うし、お互い大変じゃない。奥さんと喧嘩の元になるかもしれないし〜」
「…はあ。確かに」
「確かに、じゃないの!」
  ミナトは、クスクス笑いながらルリの頭をポンポンと叩いた。
「…子ども扱いは」
「いいじゃない子供でも。それだけルリルリは2人に可愛がられてたって事だよ。…ね、艦長♪」
「えぇ、そりゃあもう♪」
「…あう(._.;;」
  ふたりの女性に両方から挟まれ、困り顔のルリ。
「心配いらないよルリちゃん。この戦争終わったらユリカと暮らそうね〜」
「…やです。私には私の生活設計が」
「え〜。ルリルリは私がひきとるわよ。学校も行こ、ルリルリ。行ってないんでしょ?」
「いえ、勉強はその」
「だ〜め。学校は勉強するだけのとこじゃないんだから。
  ルリルリが15歳越えてるなら別だけど違うじゃない。ちゃんと行かなきゃ」
「あ、あの〜」
  周囲から呆れ半分、面白さ半分の笑いが洩れる。
  時間を越えた逆行者である事がついに露呈したルリ。しかしナデシコの面々はそれを柔軟にうけいれてしまった。それはある意味、ナデシコという環境の懐の深さでもあった。
(…さすが、というべきか)
  秋山源八朗はそんなナデシコの面々を、優しい男の顔で見ていた。

hachikun-p
平成16年1月15日